どうもみずほの組織が、良く分からない。それがわからないと今回の問題も見えないようだ。

すこし、資料をあたってみる。以下

みずほファイナンシャルグループ FG
旧みずほ銀行 BK
みずほコーポレート銀行 CB

と略する

この他にみずほの母体となった

第一勧業銀行

富士銀行

日本興業銀行

の三行がある。

また

みずほホールディングスという組織もある。よくわからないが合併途中で作られた組織らしい

下の図が系統図



みずほFGのサイトの「沿革」というページに99年8月以降の年表があるので、そっくりいただくことにする(イタリック)。これに各種情報を乗せていく。

 

 1999年8月 第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の全面的統合を発表

3行が共同で持株会社を設立し、顧客セグメントと機能で分けた全く新たな法的分社経営を行う」とする。

1999年12月 第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行による、全面的統合に関する契約の締結

個人部門の勘定系システムを第一勧銀システム(富士通)に一本化(片寄せ)することとなる。もともと富士銀行は日本IBM、興銀は日立製作所製であった。

2000年5月 「みずほフィナンシャルグループ(MHFG)」の創設についてを発表

2000年9月 みずほホールディングス設立

三行の株式移転により株式会社を設立し、3行はその完全子会社となる。

2000年10月 みずほ証券 みずほ信託銀行発足

富士銀行が巻き返 しをはかり、勘定系システムの一本化がズレこむ。二つのシステムを併存することとなる。当面中継コンピュータで3行のシステムを接続することとなる。これがプログラムの不具合を起こした。(合併の失敗から学べ

2001年11月 三銀行の頭取が一斉退陣。この時、西之原副社長(第一勧銀)ら幹部6人も一緒に退陣したため、首脳9人が一斉退陣する事態となる。これに代わり当時無名の前田、斉藤、工藤がトップに就任。

2002年4月 会社分割および合併により、3行をみずほ銀行(BK)、みずほコーポレート銀行(CB)に統合・再編。

(この前に3ヶ月間、興銀系の受け皿会社として「株式会社みずほ統合準備銀行」が存在していた)

BK頭取は工藤氏(第一勧銀出身)、CB頭取は斎藤氏(興銀出身)がそれぞれ就任。

2002年4月 みずほ証券とみずほ信託銀行、みずほホールディングスの直接子会社に

2002年4月 営業初日からシステム障害のトラブル発生。収束するまでに数ヵ月を要した。
 

 直後から旧富士銀の勘定系が孤立した。対外接続系システム(富士通)の修正ミスが原因とされる。そもそも4月1日、しかも月曜日という日を選んだ判断の甘さもある(杉野隆氏論文

2003年1月 みずほフィナンシャルグループ設立 みずほホールディングスは、銀行・証券持株会社として、中間持株会社に

FG社長は前田氏(富士銀出身)が就任。

2003年1月 2兆円規模の不良債権処理を実施。これに伴う損失が拡大し、2兆円を超える赤字決算となる。FGは財務上の課題を一掃するため、「1兆円増資」を発表する。

前田社長記者会見風景図の写真

1兆円規模の増資などについて
記者会見をする前田社長


2003年3月 みずほインベスターズ証券、みずほ銀行の子会社に。みずほ証券、みずほコーポレート銀行の子会社に。

2003年3月 みずほ信託銀行、みずほアセット信託銀行が合併、みずほ信託銀行に、

2003年3月 みずほホールディングス、みずほ信託銀行を、みずほフィナンシャルグループの直接の子会社または関連会社に

2004年7月 みずほ銀行、オリエントコーポレーションとリテール分野における包括的業務提携の基本合意書を締結

オリコ(第一勧銀系)は不良債権処理、経営再建の最終場面にあった。当 時、余力が乏しかったみずほは、自身は引き受け先とならず、伊藤忠グループによるオリコの優先株式引き受けを要請した。伊藤忠は引き受けの条件として「み ずほグループがオリコを支援し続ける証し」をもとめた。その結果打ち出されたのが「包括業務提携」というスキームだった。(東洋経済 浪川記者

2004年10月 第一勧銀情報システム、富士総合研究所、興銀システム開発が統合し、みずほ情報総研に

2004年 工藤BK頭取が辞任。FGの前田社長は後任頭取に第一勧銀出身で親前田派の杉山氏を送り込む。

2005年10月 みずほフィナンシャルストラテジー(旧みずほホールディングス)が保有するみずほ銀行およびみずほコーポレート銀行の株式の全てをみずほフィナンシャルグループが取得

2006年7月 みずほフィナンシャルグループ、約3兆円の公的資金を全額完済。

2007年2月 オリコがみずほFGに支援要請。貸金業規制法改正に伴う過払い利息返還請求により4613億円の赤字を出す。

みずほFGの最高首脳会議で、斎藤宏CB頭取(興銀)は、FGの前田FG社長(富士)、杉山BK頭取(第一勧銀)を前にして、「(オリコを)もう切ってしまえ」と発言したという (ビジネス・ジャーナル

2008年3月 CB、サブプライム問題の影響で6450億円の損失を計上して、最終赤字に転落。

2008年7月 斎藤CB頭取(興銀)の不倫が「フライデー」ですっぱ抜かれる。

相手の女性は、齋藤頭取が社外監査役を務めていたテレビ東京の女性記者です。麻布の寿司屋から出てきた二人が、路上でキスをしていたところを写真に撮られてしまいました。その後は、タクシーでとあるマンションに向かって、2時間半ほど密会していたようです。(ビジネスジャーナル

2009年 前田、斉藤、杉山が頭取・社長を辞任し会長に座る。実権はそのまま掌握したため6トップ体制と呼ばれる。金融庁は3人に会長辞任を迫る。

2010年3月 金融庁、年収1億円超を受け取っている高額取得者名の公表。前田FG会長や斎藤CB会長の名が明らかになる。

2010年6月 前田FG会長(富士)や斎藤CB会長が一斉に退陣し、特別顧問に退く。その後、BKの杉山会長(第一勧銀)も独別顧問に就任。金融庁の圧力人事と言われる。

2010年9月 みずほフィナンシャルグループ、オリエントコーポレーションを持分法適用関連子会社に

累積する巨額赤字に加え、他の地銀が問題融資に気づき、買戻しを請求したことからオリコが再び危機に陥った。
このため、みずほFGは事実上の筆頭株主となり、「持ち分法適用会社」という新たなスキームを持ち出し、業務提携を強化することでオリコ支援に回った。(東洋経済
浪川記者

2011年2月 みずほ(BK)がオリコとの提携ローンの調査。230件強の反社会的勢力との取引の存在が明らかになる。(直後のシステム障害と頭取の辞任でウヤムヤにされた可能性あり)

2011年3月 BKで二度目の大規模なシステム障害が発生。東日本大震災直後、義援金の振り込みが集中したためとされる。

2011年5月 塚本FG社長、「信頼回復」に向けた取り組みについて: ~ワンバンクへの実質的移行と合併等の統合の将来的検討~ を発表。①グループガバナンスの強化、②人事の完全一本化、③業務インフラの一元化、を打ち出す。

2011年6月 BKの西堀頭取(富士)がシステム障害で引責辞任する。後任のBK頭取には、塚本FG社長(第一勧銀)が降格の形で就任。後任のFG社長は、斎藤顧問の腹心の佐藤CB頭取(興銀)が兼務することとなる。
(火付け役の塚本FG社長(元第一勧銀、現みずほ会長)がBKのトップになれは、どうなるかは火を見るより明らか)

2011年6月 “大規模なシステム障害の反省を踏まえ、再発防止に向けた中核銀行の一本化”の方針を発表。

実体としては、「金融庁がシステム障害を口実に介入し、2バンク体制にトドメを刺した」とされる。

2011年9月 FG、みずほ信託銀行、みずほ証券、みずほインベスターズ証券を完全子会社化。

2011年11月 「みずほ銀行とみずほコーポレート銀行の合併に関する基本合意について」を発表

佐藤社長記者会見風景図の写真

佐藤社長記者会見風景図


2012年4月 実質ワンバンク体制をスタート

2112年12月 金融庁検査で、オリコの反社会勢力への融資が指摘される。内部通報がきっかけと言われる。

2013年1月 みずほ証券とみずほインベスターズ証券が合併し、みずほ証券となる。

2013年4月 幹部人事が発令される。副社長、副頭取7人が一気に退任。富士銀行出身者全員が外される。

2013年6月 FGが、BKとCBを合併すると発表。「システム障害の再発防止に向けた中核銀行の一本化」を理由とする。

2013年7月1日 みずほ銀行とみずほコーポレート銀行が合併。新社名を「みずほ銀行」(NM)とする。

CBがBKを合併した上で、みずほ銀行と解消する形を取る。NM頭取にFG社長兼CB頭取の佐藤氏が就任。三つの組織のトップを独占。



年表作成中に気づいたのだが、合併の時点で三つの銀行が各々どれほどの不良資産を抱えていたのか、それが合併後どのように償却されたのかがはっきりしない。

これ以上はかなり専門的になってしまうので、素人にはなかなか手が出せないところだが、誰かわかりやすく説明してくれないだろうか。