まず、三木清という人がどういう人か、ウィキペディアからチェックしておこう。

生まれは1897年、明治30年ということになる。私の祖父が明治23年生まれ、親父が大正3年だったから、その間の世代ということになる。

兵庫の田舎の生まれ、京大の西田幾多郎の門下。大正11年(1922年)に第一次大戦直後のドイツに留学しハイデッガーに学ぶ。同時に非合理的実存主義の洗礼を受ける。

2年後にフランスに移り、1年ほど独学でパスカルを学んだ。25年に帰国しパスカル研究者として売りだした。これらはすべて岩波茂雄の援助のもとで行われた。

昭和5年に共産党シンパとして逮捕され転向。その後抜群の語学力を生かして、岩波ジャーナリストとして活躍する。

軍国主義化の流れの中で、マルクス主義をより大きな理論的枠組みのなかで理解しなおす「構想力の論理」を企てたが挫折。最後には親鸞の思想に流れる。

昭和20年に共産党員をかくまったとして逮捕され。9月26日に獄死する。享年55歳。

といったところ。この流れからはどうも実体のところは見えてこない。実存主義やパスカルは表向きの話で、当時圧倒的な影響力を持っていたマルクス主義(とりわけ唯物論哲学)にかぶれたのではないだろうか。そしてその世間的な“寄る辺”としてパスカルを選んだのではないか。

私見だが、パスカルという人は自然科学の土台に弁証法が通底していることを初めて示唆した人だと思う。保守派であろうとして、革命的になってしまった人だ。ヒルデガルト・フォン・ビンゲンと似たところがある。

「人生論ノート」は昭和13年から「文學界」に連載されたエッセイである。この時三木は48歳。昭和16年の6月に単行本として出版された。このとき二つのエッセイが加えられている。

雑誌の色物であるから、表現は平易である。普通なら書き飛ばすほどのものだが、時節柄、「これが最後か」という思いもこもっているかと思う。三木にとっての「パンセ」かも知れない。