マッカーサーは連合軍司令官でもあり、米占領軍司令官でもあります。

その力の源は米国大統領にあります。まずはトルーマンの信任を受け、軍人として、占領軍の司令官として、日本の治安維持と、戦争の後始末にあたりました。これらは基本的には軍事的任務であり、マッカーサーには専断権があったと言えます。

日本を占領した米軍は連合軍としての性格も持っていました。したがってポツダム宣言を日本に適用させる任務も持っていました。ただこれは米政府が連合国から負わされた任務であり、マッカーサーにとっては間接的なものです。

マッカーサーにはポツダム宣言を実施する権限が与えられてはいましたが、それは事後の点検と承認を要する事項でした。

三番目が、これはかなり怪しいのですが、日本国家の再建の任務です。国家の崩壊を食い止め、再建を軌道に乗せ、国際社会に復帰させることですが、これはかなり越権行為となる可能性がありました。

形式的には、ポツダム宣言の実施という枠を拡大解釈すれば、成り立たないわけではありません。現に戦後の日本経済は音を立てて崩れ始めていました。民主化をはじめとする戦後改革を実施するまもなく、その対応に追われざるを得なかったという事情があります。

極東委員会など連合国を代表する機構は、民主化・天皇制の課題や、賠償という「公正の実現」には熱心でしたが、日本経済の崩壊に対しては無関心でした。

GHQの経済政策については、膨大で複雑なイシューがあり、私の手に負えるものではありませんが、そういう性格もあったのだということは踏まえておくべきだと考えます。

四つめは、これは明らかに権限の逸脱であり、間違った行いですが、日本を「反共の防波堤」として育成したことです。少なくとも連合軍司令官としては完全にアウトです。

それではなぜそのような権限の逸脱が可能になったのか。それは米国の軍・政府の権限の付与があったからです。そしてマッカーサーがそれに乗ったからです。この時点ではマッカーサーはすでに軍人ではなく政治家として行動しています。

そして最終的には、講和条約と日本の独立を待たず、ワシントンによって更迭され「老兵」として消え去っていきます。

これらの権限の違いは、そのまま時代区分となっています。したがってマッカーサーを評価するには、その時代と権原をもって評価していかなければなりません。

もちろん、一貫して、マッカーサーはアメリカ政府の出先機関の代表に過ぎませんでした。しかし初期であればあるほどその相対的な独自性が発揮されていることも見ておく必要があるでしょう。