「キューバ・ミサイル危機年表」の増補と校訂に思わぬ時間を食ってしまいました。全部で4万6千字です。

とにかく難しいのです。年表を作るのでさえこの有り様ですから、文章にしようとすればはるかに難しくなるでしょう。

空間的な構造もきわめて複雑なのですが、歴史家にとって一番の難物は、後から後から新資料が出てくることです。

それも事実関係が補強されるだけならともかく、これまでの見方を一変しなければならないような資料が出てくるのです。

少なくとも、1990年以前の資料にもとづく記述は、現在は無力です。ソ連側の資料が続々と出てきているからです。さらにキューバ側の資料も入手できるようになりました。

すると、これまでに利用してきた資料の信頼性が再吟味されなければならなくなります。この新旧資料の突き合わせがえらく骨が折れるのです。

なぜかというと、どんなに各場所から新資料が出てこようと、ミサイル危機をどう解決するかという点で、唯一の決定権を握っていたのはエクスコムしかなかったからです。

だから話はいつもエクスコムにおける力関係の変化に集約していくのです。


エクスコムの議論をえらく難しいものにした最大の元凶は軍部です。軍部の強さも弱さもその情報力に由来していました。

軍はエクスコムでの議論にあたって必要な情報を一手に握っていましたから、議論の方向をからりコントロールできる立場にありました。だからこそ議論を、今考えればキチガイじみた方向にまで誘導できたのです。

しかし彼らはキューバの核・ミサイル戦力をつねに過小評価していました。強く押せばソ連は引っ込むだろうという楽観論がつねに通底しています。中国に進出していった時の日本軍とよく似ています。