今の世の中を支配するのは何なのか。
物欲なのか? それはたしかにそうらしい。
致富欲なのか? それも正しそうに見える。
自由への欲望なのか? 原理的にはそうだが、戦争・ファシズム・スターリニズムのもとで暮らすという特殊状況にない限り、それは総論として抽象化している。
平和、もしくは平穏であること、これも重要な欲望だ。しかし消極的な欲望でもある。
より動物的な欲望もある、「バーンと行こうぜ!」みたいな、叫びに似た欲望である。
北大の吉田さんが環境問題からの解放の条件として主張しているのは、物欲=所有欲からの解放である。
世の中を歪めているのは致富欲であり、その基盤には物欲がある。

かなり宗教的になっているが、かろうじて人間社会そのものにと止まっていられるのは、欲望そのものに対しては肯定的であるからだ。

世界を動的に支配するのは欲望であり、それが歴史の駆動力となって人類を発展させている。

欲望が物に対象化されれば、物欲・物質欲となる。それは共同体関係の中で所有欲となり独占欲となる。さらにそれは競争社会の下では致富欲へと変貌する。

その欲望の展開(変質?)をどう捉えるかでさまざまなイデオロギー(倫理学)が生まれてくる。

さまざまな自然哲学や論理学は、結局のところ、この倫理学に帰着せざるを得ない。

ルソーもカントもヘーゲルも、ここに心棒があるから、枯れて痩せこけた哲学にならないで済んだのだろうと思う。