経済政策を考える上で悩ましい問題が三つある。

まず第一に、国際経済との整合性だ。世界は新自由主義経済の真っただ中にある。日本が抱える景気の悪化、労働環境の悪化、国民の貧困化などの諸問題は、世界の殆どの国に共通している。

しかも状況は日毎に悪化しており、有効な対策は立てられず、将来の見通しはますます暗い。

日本の政府がどのように変わろうとも、この修羅世界を生きていくしかない。その現実は紛れもなくある。一国だけを見れば革新的な政策を立てられても、それが世界に通用するという保障はない。

長期の確信は堅持するにしても、当面この新自由主義の支配する世界にアダプトしていくことがもとめられる。それは必然的だ。ぎりぎりどこまで対外的な事情に押しつぶされずにやれるのか、その限界を探さなければならない。

第二は人口減少社会だ。「高齢化社会」は生産年齢の上限が高齢化していけば解決される。長生きすれば元気で働ける年齢限界も高くなるのである。ただ雇用モデルがそれに適応していないから矛盾が生じるのだ。

問題は高齢化ではなく人口の絶対的減少だ。人口の減少はGDPの減少と直結する。資源をその中で重点配分していかなければならない。これまでの政府は怠慢にも「大変だ、我慢せぇ」というだけで、我慢した先に目指すべき経済・社会モデルを提示してこなかった。

積極財政主義者を「無責任」と非難するが、あなた方こそ無責任だ。

第三は債務問題だ。これは国内債務と対外債務に分けて考えなければならない。さらに政府債務と民間債務に分けて考えなければならない。今問題にされているのは政府の対外債務だ。しかしこれは実は大した問題はない。

政府は米国債という形で膨大なドルを抱えているからだ。国内債務はいざとなれば政策インフレによる減価という手段がある。最後はモラトリアムで銀行にかぶせればよい。

今の三大銀行は贅肉だけの組織だから潰れても社会に実害はない。地銀・信金だけで十分やっていける。多少ノンバンク規制をゆるめてもよい。

問題は企業に流入して来ている大量の外資だ。これが一気に流出した場合の資金不足は、一時的には深刻なものとなるだろう。

したがって、民間資本と政府会計、そして日銀会計とのあいだには厳格なけじめを作っておく必要がある。今まで「潰すには大きすぎる」と救済してきたが、これからは「救うには大きすぎる」を原則としなければならない。

日本人は我慢強い、年寄りはなおのこと我慢強い。末代に借金を残さないためには、多少の金融恐慌には耐えてみせる。