間接差別というのがあって、これを禁止するようだ。
間接差別というのは
表向き、性別を理由にしていないけれど、事実上女性を差別することを言うのだそうだ。
これは男女雇用機会均等法の第7条に規定されているそうだ。
具体的には
1.一定の身長・体重または体力を要件とすること
2.転居を伴う転勤を総合職の要件とすること
3.昇進にあたり転勤経験を要件とすること
だそうだ。
これが現在の基準なのだそうだが、今度これが拡大されることになったというわけだ。

現場での男女差別という現実は少しも改善されないまま、条文だけが先鋭化していく感じだ。しかもこれは立身出世の「権利」をめぐる、いわばエリートの運動だ。
男女ふくめた労働条件の改善がもう少し進まないと、むしろ反感を煽る結果になるのではないかと危惧する。

どうも「間接差別」というのは嫌な言葉だ。むかし解放同盟が「差別だ、差別だ」と騒いだのに似ている。最後には「お前が生きていて、息をしていることが差別なんだよ」ということになりかねない。
私なんか日頃から差別用語の連発だから、何時の日か「糾弾」されるか分かったことじゃない。

私は民医連に入る時点で人並みの立身出世の路を放棄した。その上で、40年ほどの在職期間中に16回の転勤を経験している。もちろんその間に無数の出張も経験している。すべて単身赴任だ。
医療にとって、経営にとって必要なだけでなく、何よりも職員の団結にとって必要だったからだ。
逆に言えば、そうやって相互信頼を築いてきたから、戻ってこられたわけだ。

勤医協以外では、悲惨な例も知っている。「大変厳しいので行ってくれ、頼む」と言われて研究を中断し、地方に派遣され、そのまま戻ってこれなかった人もいる。そういう人に限っていい人だ。
派遣した医局長がどういう人で、どうなったかは知らない。

言いたいのは、能力がある人が転勤できないということで差別されるのを当然だということではない。しかし会社は具体的貢献に応じて給料を払うのであって、「能力」に対してカネを払うのではない。転勤経験は転勤経験としてしっかり評価せよということだ。

行く先は現場であり修羅場である。決して龍宮城に行くわけではない。しかも家族も巻き添えだ。うちの嫁さんも一応女なんですけどねぇ。子供は「転校生」としてひと通りの通過儀礼を強制される。

自分の留守の間に同僚が昇進し、戻ってくる場所もポストもなくなっているというのでは、転勤が経歴上のハンディとなり、一種の懲罰になってしまう。
やっと帰ってきても「あの人10年前から化石になっていて、使いものにならないんじゃない。それより私のほうが断然有能よ」と後ろ指さされかねない。
あまりに浮かばれない話である。

また、「それが差別なんだよ」と言われかねないが…
お互いに相手の足を踏みつけながら、片方は「これが女性差別の痛みなんだよ」と叫び、もう片方は「これが転勤の苦しみなんだよ」と叫ぶ。なんとも悲しい図柄である。