ムヒカ大統領インタビュー。消費主義社会について (訳:打村明)

消費主義の説明を探している間に、上記のページを見つけました。ムヒカというのはウルグアイの大統領で、70年代には都市ゲリラの指導者でした。長い獄中生活を送った後政界に復帰、左翼の統一戦線である「拡大戦線」の候補として、大統領選挙に勝利したという経歴の持ち主です。ラテンアメリカにおける消費社会論の意味付けがよく分かります。以下、要点を紹介します。

1.現代社会は消費主義社会

現代社会は使い捨て社会だ。大量消費が経済を成り立たせている。それが社会のモデルとなっている。それを変えるのは大変困難だ。

2.経済資源というのは人生の時間を裂いたものから出来ている

人はものを買う時にお金で買っているが、そのお金はその人の時間を労働に裂いた結果得られたものだ。

人間のもっとも大事なものが生きる時間だとしたら、この消費主義社会はそのもっとも大事なものを奪って行っていることになる。

(うーむ、前半はマルクス主義的だが後半は非マルクス主義だ)

3.消費社会は命を食べるマシーンだ

人間はもっと良い暮らしを持つためにものが必要だが、そのために消費と仕事をどんどん増やさなければ行けないわけではない。

消費社会の行き着く先は人の人生の時間を奪って行く現代の奴隷制度である。消費社会は命を食べるマシーンなのだ。

我々は底知れない消費主義社会にノーと言わなければならない。社会主義が必要だ。

(うーむ、気持ちはわかるがちょっと観念的だ)

4.労働時間の短縮だけでは無意味だ

ウルグアイは6時間労働を推進している。国民は賛同している。しかしそれは労働時間を減らすためではなく、もうひとつの6時間労働の仕事を持つためだ。労働時間を減らすはずが、前よりも多く働いている。なぜか?

子供の頃からテレビで購買と消費こそが幸せだという考えを刷り込まれているからだ。そんな社会に私たちは押し込まれている。

5.哲学が必要だ

政治に哲学がなければ、めざす道がない。もっと良い世の中とは人生を生きる時間をもっと有意義にすることだ。

生きる時間とは何か? それは自分が自由に使える時間、やりたいことをやる時間のことだ。自分の人生の時間を好きなことに使っている時が本当に自由なときなのだ。

仕事が好きかどうかは別の話だ。自分と家族の物質的な欲求を満たすために働く時間は自由ではない。働いていない時間のことが自由なのだ。

6.もので溢れることが自由なのではなく、時間で溢れることこそが自由

自由になるための戦いというのは、どれくらい自由な時間を確保できるかにかかっている。

そのためには物質的な禁欲が必要だ。制限と節度ある生活のコンセプトが必要だ。その制限というのは文化や自由意志から生まれるものでなければならない。

自由意志から生まれた自由な選択と、限られた選択肢から強引に選択させられるのとは異なる。あの工場に12時間、16時間働かなければならない選択は自由とは言いえない。

7.人間というのは生物学的に見れば社会主義的な動物

人間という生き物が世界に誕生してから現代に至るまでの90%の時代は「私のもの」や「あなたのもの」という概念がなかった。「私たちみんなのもの」しかなかった。

生物学的に社会主義なのだけれど、歴史の出来事によって資本主義、商業主義的な人間に変わってしまった。ハードディスクは社会主義なのに、発展の歴史が私たちのOSを資本主義にしてしまった。人間の遺伝子には社会主義という記憶があり、それが現代消費社会と激しく対立している。

人間は自分たちの本性と矛盾している。そして、何か繋がらないまま、何か足りないままさまよっている。


率直に言おう。これは人間の「個性」、少なくとも近代的個性の否定だ。人間を類的存在に解消するものでしかない。見ようによっては「アリとキリギリス」的・エリート主義的・真正社会主義的・反文明論的な視点だ。

マラウィの歴史をさらった後でこの文章を見ると、サンチョ・パンサではないが「人間、まずは働け!」と言いたくなる。