教育テレビで、5回シリーズで「古事記」をやった。残念ながら4,5回めしか見ていない。
不思議に思ったのは、依然として倭イコール大和王朝で、弥生人イコール天孫族で、などなどという見解が未だにまかり通っていることだ。

私は、以下のことは常識としてよいのではないかと思う。

1.縄文人は樺太からやってきて、東日本中心に生息した。
2.弥生人は紀元前10世紀ころから朝鮮半島南部を経由して日本に渡り始め、西日本各地に広がった。彼らは長江文明の系統を引き継ぎ、稲作文明をもたらした。
3.中国で北方系の秦・漢が成立して朝鮮半島にも進出した。実際に進出したのは扶餘など南満州の人々で、彼らが南朝鮮を支配下に置き、日本にも進出してきた。これが天孫族である。
4.縄文系の人々は黒部川と箱根を結ぶ線の東側に後退した。
5.天孫系は支配者として、弥生系は被支配者として混交した。天孫族は初め九州王朝、後に出雲王朝を起こした。それより東側の弥生人は天孫文化を一部受容する形で銅鐸文明を起こした。
6.出雲王朝は九州王朝に逐われ、大和に拠点を移した。その際、銅鐸文明を徹底的に破壊した。
7.紀元300年ころ神武東征が行われ、九州王朝の編成した神武軍が大和の出雲族を併呑した。神武王朝は天孫族系の先住者である出雲族を尊重し、その伝統を受け入れる形で大和王朝を創設した。
8.6世紀のはじめに、大和王朝は朝鮮半島志向の強い九州王朝を滅ぼし、その文化を徹底的に抹殺した。

と、この辺あたりまでは学会の合意が形成されてもよさそうな気がするのだが。

ユーラシア大陸の西の果てイギリスと東の果て日本には、非常によく似た歴史的経過がある。比較しながら検討するのも面白いと思う。