日々雑感のカテゴリーに入れていいのかどうかわからない。
けっこう重いテーマだ。

ジニ指数がどうとか貧富の格差がどうとか言うが、それは数字の問題だ。マインドとして重要なのは“成り上がれる”可能性の問題だろう。

明治維新以来,日本にはつねに成り上がれる可能性があった。貧乏人の小倅であっても、勉学に励めば、いずれは総理大臣か陸軍大将という道はあった。

キャッチアップできる時代を、松本清張や山崎豊子は裏側から描いた。どん底から這い上がろうとする人間がそのためにどんなアコギなことをしなければならないかを描いた。

いま、そういう世界はありえない。せいぜい「やられたらやり返す、倍返しだ!」の世界である。

もはやキャッチアップはありえない。いま落ちるか、明日落ちるかの世界しかない。世の中のあらゆるものが、エスタブリッシュメントとして突き出される。選択肢は「契約で頑張りますか、臨時でもいいですか」という選択でしかない。

一方でトップは世襲制が花盛りだ。成城出のボンクラや漫画しか読まないドラ息子が、さも勇ましそうなふりをして世の中を仕切っている。
世の中に楯突く人間は金、女のスキャンダルでやられる。

社会が脆弱化している。ボンクラの三代目と、金勘定しか頭にない番頭が世の中を仕切る時代だ。

こういう時代は、陽に当たった安物の化繊の生地がピリピリと裂けるように、あっという間に割れる。そこから音を立てて崩れていく。