中国外交の人脈

大して知っているわけでもないのに、ほら話をかまします。酒の肴と思って聞いてください。

1.鄧小平人脈

文化大革命の後、いろいろありましたが、結局鄧小平が実権を握りました。

彼は国内の立て直しのために、まず経済から入りました。そのために外交活動はストップします。というかビジネスのために必要な範囲に絞ったのです。

その際、とにかく隠忍自重の低姿勢を徹底しました。「でしゃばるな!」路線です。

現在でも内政派には根強い理論です。温家宝がその代表です。

2.江沢民人脈

92年に江沢民が国家主席に就任し、7,8年経って、世紀の変わり目あたりから、路線に変化が見られました。

理由はいろいろあると思いますが、直接的にはユーゴ内戦で中国大使館が爆撃の標的とされたことでした。

おとなしくしているだけでは身は守れない。ではどうするか。でしゃばるのではないがほかの有力国と共同のネットワークを作って、アメリカをけん制する以外にない、ということになりました。

この「多極化」路線は、イラク戦争をめぐって大いに力を発揮したと思います。ロシアとは部分的共闘を結び、ドイツ、フランスを戦争から引き離すことに成功しました。結果としてNATOは動けなくなりました。

イラク戦争は世界的な反戦運動を呼び起こしました。その盛り上がりがあったからこそ、多極化論は有効性を発揮したのです。そこで中国は多極化論をさらに進め、その枠を新興国に広げました。

BRICS の結成、G20首脳会議の実現などがそれです。またASEAN にも積極的に接近を図りました。02年の南シナ海をめぐる協定もその流れで読むことが必要です。

北朝鮮の核開発をめぐる6カ国協議もその一つです。現在のところ頓挫していますが、中国外交の力が遺憾なく発揮された動きでした。

ここまでを「多極化論から多国間主義へ……中国外交の変遷」で書きました。

この時中国外交をになったのが国務院の外務官僚です。具体的には唐家璇 戴秉国楊潔篪、王毅とつながる流れです。

もちろん、彼らを支えたのが江沢民であり曽慶紅であったことも忘れてはなりません。汚職や腐敗、権力への執着などとかくの噂のある江沢民ですが、首脳外交は水際立っていました。

3.胡錦濤人脈

胡錦濤人脈というのがはっきりあるのかどうか分かりません。彼はさまざまな人脈のバランスの上に乗っていただけの人物なのかもしれません。

一期目は政治局常務委員の過半数が江沢民派という状況のもとで、その路線を踏襲せざるを得ませんでした。05年の国連演説は江沢民路線そのままです。

ただ鄧小平の直系ということもあって、経済外交に重心を戻し、平和外交の方は「変わらず歩む」にとどめたことが一定の傾向といえるかもしれません。

07年、二期目に入ると胡錦濤の独自戦略がはっきりしてきます。06年に上海の党書記が汚職で摘発され、江沢民の力が落ちたことも関係しているといわれますが…

そして09年に入って、一気に外交の前面に胡錦濤が登場するようになります。

そして、経済の好調を背景に「世界経済の枠組みには新たな変化が生じ、政治的な文脈からもパワー・バランスが変化する兆し」が出現したと主張するようになります。

これまでの多極化論や多国間主義とはまったく異なった論調です。この発言をめぐって胡錦濤人脈は二つに割れます。

ひとつは鄧小平以来の「でしゃばるな!」路線を堅持せよという温家宝首相ら国内経済派、ひとつは「核心的利益」を強力に押し出す馬暁天らの軍部人脈です。

おそらく胡錦濤の真意は、経済発展にふさわしい国際政治上の地位を、ということでしょうが、実際には「核心的利益」論を受容することで、軍部に擦り寄る結果になったのではないでしょうか。

4.習近平人脈

これはまだどんなものやらさっぱり分かりませんが、胡錦濤以来の人脈はかなりうすくなっています。地方の党書記出身のロートルがしっかり脇を抱えています。

おそらく軍内タカ派と結びついた胡錦濤派内「核心的利益」派の動きをけん制すると見られます。

そのうえで、米中関係を基軸にした「二つの大国論」は継続・強化するようです。

「でしゃばるな!」路線と「二つの大国論」の奇怪なアマルガムが出来上がりつつあります。これがどういう方向に進んでいくのか。目が離せない状況がしばらく続きそうです。