以下の文章は「日本国際問題研究所」のサイトに掲載された

増田雅之さんの論文

第四章 胡錦濤政権期の中国外交

―「韜光養晦、有所作為」をめぐる議論の再燃―

の読書ノートです。

 

はじめに

中国共産党の外交政策は胡錦濤総書記の10年間に大きな変貌を遂げます。胡錦濤は2002年の第16回党大会で総書記に選出され、以来2期10年にわたり総書記と中国政府主席の座を維持しました。第1期目では江沢民路線をプラグマティックな鄧小平路線に引き戻し、第2期目ではこれに大国主義的な「核心的利益」の主張を付け加えました。

習近平も胡錦濤を踏襲し、いわゆる“G2路線”をさらに推し進めようとしています。しかし党内には、外交畑を中心に、平和と連帯を基礎とする国際路線の潮流も根強く残っています。

 

1.江沢民から胡錦濤へ……中国外交の重点移行

(1)江沢民が提起した「戦略的チャンス期」

 今世紀の最初の20年は「戦略的チャンス期」である。力を集中して、経済がさらに発展をとげ、民主がさらに健全なものとなり、科学、教育がさらに進歩をとげ、文化がさらに繁栄し、社会がさらに調和がとれ、人民の生活がさらに豊かになるようにしなければならない。

…この段階の建設を経て、さらに数10年奮闘しつづければ、今世紀中葉には、現代化を基本的に実現し、わが国を富み栄えた強大な民主、文明の社会主義国に築き上げることになる。

(2)胡錦濤の就任と内政重視路線への転換

2003年11月 党中央政治局第9回「集団学習」における胡錦濤の報告。

しっかりとチャンスを掴むことによって、時代発展の寵児となれるチャンスである。

一方、(行動が失敗に終われば)戦略的チャンス期を喪失する可能性もあると、そのリスクを強調した。

04年8月の第10回在外使節会議 では、戦略的チャンス論を擁護するとともに、「四つの環境」(平和で安定した国際環境、善隣友好の周辺環境、平等互恵の協力環境、客観的に親しい輿論環境)の実現を外交の任務と位置付けた。

わかりやすくいうと、主要大国との関係を安定的に発展させ、周辺国との二国間の友好を結合させる、ということらしい。発展途上国との団結と協力を強化することや、各問題領域での多国間協力を強化していくとの文言も盛り込まれているが、実際は後景に退けられている。

同じ時期、温家宝総理は、「小康社会を全面的に建設することに外交工作はさらに服す」よう求めた。

華々しい外交を展開しつつある担当者に対し、「そんなキレイ事言っている場合かよ」と強烈な一発をかましたことになります。そこには外交の大義はなく、内政をすすめるうえでどちらが得かという判断しかありません。これは「黒猫も白猫も」という鄧小平路線への完全な後戻りです。こういう路線変更を知ると、次の胡錦濤演説がかなり白々しく聞こえてきます。

胡錦濤の国連創設60周年特別首脳会議での演説(05年9月)

チャンスと挑戦が併存する重要な歴史的時期にあって、世界のすべての国が固く団結することで、はじめて永続的平和と共同繁栄の和諧世界を真に建設することができる。そのために

第一に「多国間主義を堅持して、共通の安全を実現」し、

第二に互恵協力を堅持して、共同繁栄を実現し、

第三に包容精神を堅持し、共に和諧世界を構築し、

第4に積極妥当の方針を堅持し、国連改革を推進する。安保理改革は発展途上国とくにアフリカ諸国の比重を高める。

言っていることは素晴らしいのですが、いまみると、肝心のやる気がなくなっていたことが分かります。

 

国連演説の1年後、2006年8月に党中央レベルで重要な会議が持たれた。

中央外事工作会議 であり、胡錦濤政権で初めて開かれたものである

この会議では外交工作の「指導理念、基本原則、全般的な要求、主要任務」が提示された。外交の主要任務は「改革開放と社会主義現代化建設のための良好な国際環境と有利な外部条件

をつくり出すこと」とされた。

会議では「経済建設を中心とすることを外事工作は堅持」しなければならないと強調された。

温家宝発言そのままです。経済外交以外の余計なことはするな、ということでしょう。完全に内向き外交です。6カ国協議を担当していた王毅外務次官が日本大使に回されたのもこの頃のことでしょうか。

「平和発展の道を変わらず歩む」ことも確認された、というが軸足ははっきりと移ったのである。

 

2.転換期の外交方針

(1)パワー獲得をめざす外交への変化

外交姿勢の変化の最大の要因は08年秋のリーマン・ショックであった。世界金融危機を中国に有利なパワー・バランスの変化と捉える傾向が中国では顕著になった。

2009年4月の第2回G20金融サミット が最初の具体的な意思表示となった。胡錦濤国家主席は発展途上国を含む「幅広い代表性」を有するG20を国際金融危機への共同対応の「重要かつ有効なプラットホーム」と位置づけ、国際金融秩序の再構築に向けた改革を強く訴えた。

おなじ09年4月、オバマ大統領との初めての首脳会談が持たれた。胡錦濤は、「米中は、国際的・地域的な問題の処理でも、世界の平和と安全の維持の面でも、よりいっそう広範な共通の利益を有している。中米関係は現在新たな起点に立ち、重要な発展のチャンスを迎えている」と「2つの大国論」につながる提案を示している。

米国側にも、メディアを中心に、米中両国が世界経済の回復に決定的な役割を果たすとする「G2論」が活発化した。

「G2論」をめぐり、中国国内では二つの潮流が生まれた。

09年5月 温家宝総理は

1.一国や二国あるいは大国グループで世界の問題を解決することは不可能であり、多極化や多国間主義が大きな趨勢である

2.世界には中・米による共同統治の枠組みが形成されるという人もいるが、まったく根拠のない誤ったものだ

3.中国は発展途上国であり、現代化への道程は遠い

とのべ、「G2論」に真っ向から反対した。

いっぽう、「G2論の背景」という形で、軍など一部では「G2論」の実質的受容が拡大した。その典型が2009年初めに『解放軍報』紙が主催した米中関係についての座談会で

1.中国の経済発展や総合国力(軍事力と読め)の向上、積極的な外交の結果、米中の差は縮小している。米中の「平衡化」の趨勢は不可逆だ。

2.金融危機などグローバルな問題について、米国はすでに独自で掌握できなくなった。国際社会における米国の覇権は低下した。

と述べられている。

のぼせ上がりもいいとこです。ただこの時点では、パワー外交の主張は一部に留まっていたということに注意する必要があるでしょう。

2009年9月の党中央委員会第4回総会 では、これらの論争は「世界経済の枠組みには新たな変化が生じ、政治的な文脈からもパワー・バランスが変化する兆し」が出現したと表現された。

温家宝の主張は退けられたことになります。1年足らずの間にパワー外交派が主流を占めたことになります。ただパワー外交派は一色ではありません。

 

(2)第11回在外使節会議の意義  「核心的利益」論の国策化

中国外交の決定的転換点となるのが09年7月の第11回在外使節会議 である。

ここで胡錦濤の行った講話は以下のような内容だ。

1.「世界の多極化の見通しはいっそう明るい」として多極化外交をさらに推進

2.「四つの力」(政治面での影響力、経済面での競争力、イメージ面での親和力、道義面での感化力)を高める。

3.主権だけではなく、より幅広い文脈で「核心的利益」の尊重を求める。

この内、核心となるのが「核心的利益」(すなわち国益主義)の主張である。

国益の主張は「4つの力」のうち前の二つを強めるが、後の二つは弱まります。これにより自主・平和・連帯を旨とする中国外交の伝統的価値観は逆転します。

 

(3)「核心的利益」論の展開――対米関係を中心に

現実の中国外交の展開は、金融危機後の早い時点、「核心的利益」との表現が出現した頃から自己主張的なものになっていた。

「核心的利益」とは、「国家主権と領土保全を維持すること」とされている。この用語は「中国が武力解決をふくむあらゆる政策上の選択肢を有している」ことを意味する。

外交の場でこの用語が使用されば、当該イシューでの譲歩はほとんど想定されなくなる。

ところが「核心的利益」の概念は次々に拡大解釈されてきた。

2011年9月に国務院が発表した白書『中国の平和発展 』は

①国家主権、

②国家の安全、

③領土保全、

④国家の統一、

⑤中国の憲法に定められた国家制度と社会の大局の安定、

⑥経済社会の持続可能な発展の基本的保障

の6つまで中国の「核心的利益」を拡張した。

むかしの日本軍の言う「生命線」を連想させますね。

 

(4)中国外交の強硬化をめぐる議論

「韜光養晦」という言葉があります。「能力を磨け、ただし出すぎた真似をするな」という意味で、文化大革命の痛切な教訓を踏まえた鄧小平の遺言であり、中国外交の基本となっています。先ほど紹介した温家宝前首相の考えがその典型です。

江沢民政権時代にはイラク問題などをめぐって積極外交が展開されました。それは“出すぎない”ということを、西欧諸国や新興国と肩を並べて進もうというふうに解釈したものでした。しかし経済畑ではそれを好ましく思わない潮流もありました。

胡錦濤時代に入ると、積極外交の方向は弱まり、ふたたび経済外交に終始するようになりました。それが「韜光養晦、有所作為」という路線です。「何かあれば大いにやろう」ということで、両派の妥協を測ったというか、一応積極派の顔も立てたということでしょう。

それが、リーマン・ショック後に強硬派が台頭してくると、「有所作為」がその論拠として利用されるようになります。以下、本文に戻ります。

こうした中国外交の強硬化は、これまでの戦略方針をめぐる議論を惹起した。

強硬派の中からは、南シナ海を守るために韜光養晦を放棄すべしという意見も出現した。

逆に(江沢民時代の積極外交派からは)、「中国の周辺重視の度合いが下降した」ため、「中国の主体的条件は良くなっのに、外交条件は却って悪化している」との意見も出た。

(この論争を見た)中央党校国際戦略研究所の宮力所長は、中国の台頭に対する国際社会の不安感の打ち消すために「韜光養晦」を堅持すること、「更に大いになす(更大作為)」と組み合わせることを提案した。

これが胡錦濤の「堅持韜光養晦、積極有所作為」に結びついていく。

片方が“堅持”で、片方が“積極”なら、どちらが重点かは誰が見ても分かります。胡錦濤政権は両者をこういう形で並べることで、事実上強硬派にスタンスを移したことになります。

実際には、韜光養晦の対語である積極有所作為が前面で論じられるようになった。

2010年10月の共産党第5回中央委員会総会(5中全会)では、中国が「大有作為」の戦略的チャンス期にあるとの判断を示した。

さらに跳ね上がったのが解放軍だった。馬暁天・副総参謀長は、5中全会を受け、軍の使命に関する論文を発表した

「戦略的チャンス期には、強烈な発展の意思とするどい戦略的な洞察力が必要とされる」とし「穏当さを求めることは、何もしないと同じことではない」と強調した。

多少持って回った言い方ですが、「強烈な発展の意思」というのは武力脅迫ということで、「鋭い戦略的な洞察力」というのは破壊力のある軍事力と読みかえればよく分かります。「何もしない」というのは武力脅迫をしないという意味です。武力行使をしなければそれは“穏当なのです。

 一方、外交畑は慎重論を維持した。

戴秉国(たいへいこく)は「平和発展の道を歩むことを堅持せよ」と題する論文を表した。

「平和・発展・協力の旗印を高く掲げよう。①独立自主の平和外交政策を実行し、平和発展の道を歩み、②互恵でウィン・ウィンの開放戦略を堅持し、③わが国の主権・全・発展の利益を擁護し、④世界各国と共に恒久平和と共同繁栄の和諧世界を構築すべ推進していこう」

「21世紀初頭の20年間に、国際情勢全体としての平和、大国関係の相対的安定や新科学技術革命の迅速な成長が、我々にチャンスをもたらした。しかし外部との関係をうまく処理できなければ、このチャンスを失いかねない」 

中国の戦略的意図は「平和発展の四文字に尽きる」

この論文は大変重要だと思います。機会があればもう少し詳しく読んでみたいと思います。

かくして、「堅持韜光養晦」を重視する外交当局と、「積極有所作為」を強調する人民解放軍との間で異なる解釈が生じたのであった。

こうした状況からみれば、胡錦濤による「堅持韜光養晦、積極有所作為」の提起は、具体的な方針提示というわけではなかったように思われる。それは、「韜光養晦、有所作為」をめぐる異なる論点の折衷として提示されたものであり、必ずしも具体性を有するものではなかったと言ってよかろう。

確かに気持ちとしてはそうだったかもしれませんが、それがもたらす結果が見通せる情勢のもとでそういう判断を下したのですから、その判断は「決断」として重く受け取らなければならないでしょう。

習近平は2012年11月の党18期1中全会で総書記となり、2013年3月の第12期全人代第1回全体会議で国家主席に就任した。

習近平政権の外交も、全般的には「積極有所作為」のあり方を模索していく方向性にある

13年1月中央政治局「集団学習」 

習近平総書記は「平和発展の道を歩む」ことを「党の戦略的な選択」とした。

一方で、それによって「決してわれわれの正当な権益を放棄することはできず、決して国家の核心的利益を犠牲にすることもできない。いかなる外国もわれわれが自己の核心的利益を取引することを期待すべきではない」とも強調した