マルクスは社会主義革命を目指す労働者と連帯することによって、

1.労働者階級が資本家階級を打倒し資本家階級の支配の道具である国家を握り、
2.そのことによって、社会の構造を変換し、
3.ついには国家そのものを死に至らしめる

という道筋を描いたのだろうと思います。

そして革命が不可避であることを、経済学批判を通じて証明しようとしたのだろうと思います。

ここがマルクスの本線であり、社会主義のイメージについては、とりあえずパリ・コミューンの経験を通じて描き出すしかなかったのだろうと思います。

ただその前に、マルクスはプルードンやグリュンとの論争を通じて社会主義についての一定のイメージをつかんでいました。オーウェンの社会実験にかなり学んでいたようです。また労働者が自主運営する工場などについても知識を持っていたようです。

したがって、労働者階級が権力を握った後の統治のありようについては三つのイメージがあったと思います。

1.議会・政府のコミューン型、直接民主型統治
2.工場の労働者支配。労働の結合を基礎とした生産評議会
3.地域・コミュニティーにおけるアソシエーション型結合

ただこれら三つがいかに絡みあうか、そのからみ合いの中で経済がいかに均衡を保ち、発展していくか、などについてはまったく未知数でした。
「経済学批判要綱」レベルでは2.だけが念頭にあったのではないでしょうか。

しかも「オーウェン型結合労働」で良いところだけ並べています。しかし内部でいかに民主主義が実現しようと、ゲゼルシャフトとしての論理はそこに貫徹しているのではないでしょうか。

わたしは、一定の段階までは地域共同体との矛盾は避けて通れないと思います。
また地域共同体はどうしても遅れた面を背負わざるをえないし、つねに相対的には足引っ張りの役目を果たすことになるだろうと思います。
むしろその矛盾を契機として人間社会全体が発展していくのではないでしょうか。

両者の対立は止揚されるのではなく、おそらくは労働時間の短縮により、消滅していくんだろうと思います。


ところで、話は変わるのですが、

資本論の第三部では商品の価格実現と剰余価値創造の過程が二重の過程として描かれており、市場による一般利潤率の措定が不可欠の前提となっています。

ただこれは市場機能の一面であり、経済の向かうべき方向を決めていく過程での役割に比べれば、非本質的な機能です。

不勉強ですが、マルクスはそこまで書き込んでいないのではないかと思います。(マルクスのことですから、どこかに思いつき的に書き込んでいる可能性はあると思いますが)

おそらく究極的には生産の支配が流通の支配をもたらすメカニズムがあるのでしょうが、当面は統治のイメージとして

4.流通と交換の場面における生産者間の結合、生産者と消費者の関係の統制(いわゆる規律ある資本主義)

というもうひとつの統治イメージが必要になるだろうと思います。これは相対する人間がいずれも“玄人”というか“プロ”同士の関係になるので、統治のあり方は前三者に比べると、どうしても間接的にならざるをえないところがあります。