以前、マゼール指揮ベルリン・フィルの「イタリア」交響曲の紹介をした。その時、フルートの音がやたらすごいと感心して、ゴールウェイだろうかと書いた記憶がある。

その後、ディスクの紹介を見たら次のように書いてあった。
  • 録音年:1960年4月
  • 録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
  • 指揮者:ロリン・マゼール
  • 楽団:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
そこでウィキペディアのベルリン・フィルの項目を見たら、歴代のフルート奏者があげられている。
    オーレル・ニコレ(1950年 - 1959年 首席フルート奏者)
    カールハインツ・ツェラー(1960年 - 1969年、1975年 - 1993年 首席フルート奏者)
    ジェームズ・ゴールウェイ(1969年 - 1975年 首席フルート奏者)
    エマニュエル・パユ(1993年 - 2000年、2002年 - 首席フルート奏者)
よって、この演奏でフルートを吹いているのはカールハインツ・ツェラーということになる。
zoeller

この流れを見ると結構辛いところがあって、カラヤン時代に一度降ろされてゴールウェイに首席を奪われている。そして75年に首席に復帰して、カラヤンの死後に至るまで首席の座を維持している。その間33年に及ぶ。
どうゆう経過なのだろうか。

ウィキペディアのツェラーの項目
1967年、ベルリン・フィルの南アメリカ演奏旅行中に交通事故に遭い、肋骨を折る重傷を負うが、教育・演奏活動に復帰した。
何のことはない、ゴールウェイはある意味代役だったわけである。

ついでウィキペディアのゴールウェイの項目
ロンドン交響楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席フルート奏者を経て、1969年、ヘルベルト・フォン・カラヤン率いるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の入団試験を受け合格し、1969年から1975年まで首席フルート奏者を務めた。一時期の不和の末に、退団しソリストとして活動することを決断し、カラヤンを驚かせ戸惑わせた。
galway

ここで注目すべきは67年の事故からゴールウェイの入団まで2年の開きがあることだ。つまりツェラーが2年間の療養を終え、首席に復帰しようという矢先に、ゴールウェイが入ってきたことになる。
となれば、ツェラーとその仲間はカラヤンも知らぬ間にゴールウェイをイビって追い出したことになる。

その流れでザビーネ・マイヤー事件を見ると、怪しげな雰囲気が漂ってくる。
ザビーネ・マイヤーは1981年に首席クラリネット奏者のオーディションを受け、カラヤンに高く評価される。BPO北米ツアーで客演首席クラリネット奏者を務めるが、1982年の楽員投票で入団を否決された。
となっている。
Sabine Meyer

このとき首席はカール・ライスターである。彼も事件を“乗り越え”、93年まで首席を努めた。
leister

顔で判断してはいけないが、どうもこいつが一番悪そうだ。

もう一人がオーボエのローター・コッホである。
1979年10月、演奏旅行中で到着後の北京空港でタラップからの転落事故に遭い重傷を負うが、闘病生活の後に復活し、ベルリン・フィルに復帰。1991年9月に退任。
彼には代わりの“悪役”は立たなかった。
f:id:franztvontutu:20060713201213j:image
(この写真をアップしてくれたfranztvontutu さんによると、これは57年ベルリン・フィル初来日の演奏だそうで、コッホはまだ首席ではなく、フルートはニコレ。ツェラーとライスターはまだ入団していなかったようだ。“若き小心者のオーボエの神”と書かれているから、ライスターの驥尾に付していたのではないか)
つまりツェラー、コッホ、ライスターは首席就任も59年前後のほぼ同時で、退任も93年前後のほぼ同時。カラヤン時代をしぶとく生きにて、35年近くも同じポストを占め続けたことになる。
ひねた見方をすれば、団員の自主投票制度のもとで、一種のボス支配が35年にわたって続いたとも言える。

どんなにうまい人でも35年は長すぎると思う。これが個人のプレーヤーなら、腕は衰えても“味”で勝負できる。しかし楽団というのは楽器だ。メカニックな能力が問われなければならない。これでは楽団自体が衰弱していくのではないだろうか。