すでに見てきたように、この社会主義計画経済論争はミーゼスの社会主義計画経済への批判から始まった。

ミーゼスの批判は、言い出しっぺだから仕方ないのだが、かなり粗雑だった。そのため結局彼の「批判」は論破されてしまうのだが、より大きな範囲、歴史的なスパンで考えると、この問題はそう簡単に決着がつく問題ではない。

「市場か計画か」という二分法的な思考は、「市場なき計画経済など破綻するに決まっている」、という素朴な感情から出発している。そしてそれは実際に数十年を経て破綻した。したがっていまや二者択一的な議論は無意味となっている。

この論争を論争そのものとして読むことは無意味となっているが、この論争からいくつかのことを読み取ることは必要だろう。

1.経済の計画化は可能である。

2.市場なき経済は可能である。

3.市場なき計画経済は不可能である。

4.市場には経済の均衡を果たす役割はあるが、経済をかく乱する面もある。

5.市場には経済の均衡を保つ以外の働きがある。(欲望の創出と推進? 市場支配の拡大?)

この内

1.については両派の合意が得られた。これはサイバネティクスの手法を取り入れたランゲの主張に沿ったものである。

2.についてはポランニーが主張したが、前資本主義の時代の話が社会主義にも通用するかについては、論争の主題からは外れる。

3.については現実の問題として結論はついている。しかしなぜ不可能なのか、それが未来永劫不可能なのかは、必ずしも十分に解明されていない。

4.についてもある程度合意はあるのではないか。つまり経済の均衡は市場の本質的役割ではないということである。

5.についてはハイエクとシュンペーターが違った側面から主張し、3.とのからみで大方の合意があると思われる。

先立つ時代に比し、資本主義社会は爆発的と言っていいほどの生産力の進歩をもたらしたし、今ももたらしている。それは人類の欲望が爆発的に創出されたからである。では資本主義のどこが人間の欲望を生み出しているのか、「欲望の生産過程」それも単純な生産過程ではなく拡大再生産される過程、それは市場の中にあるのではないか。