老健にいると、「ご家族様への説明」というのがもとめられる。まぁそのために雇われているみたいなものだから、仕方ないのだが。

それで、話の半分以上は「胃ろう」の話になる。私には当然のお勧めの方法なのだが、世間では逆だから困る。

「自分の家族だったら薦めますか」

「はい、薦めます」

「自分でもしようと思いますか」

「はい、自分もしてもらおうと思います」

この後どう続けようかと、毎日工夫している。

人間、生きるというのは、けっこう辛いことだ。

年をとるとなんでも面倒だが、食べるのも面倒だ。

食べなくてもいいなら、断然楽できる。

献立を考える必要はないし、スーパーに買物に行かなくても済むし、煮炊きする必要もないし、食器を洗って棚に入れる必要もないし、ゴミ出しもしなくてすむ。

食べたくないのに、「頑張って」と急かされて、無理して食べる必要はない。むせないかとヒヤヒヤしながら食べる必要もない。飲めずに口に広がる苦い薬も飲まなくて済む。

食べたきゃ食べりゃいいんだし、第一点滴に縛られなくていいというのは、それだけで極楽でしょ。

60で性欲はなくなって、80で食欲はなくなって、煩悩の種が減っていくというのはありがたい話じゃないか。

後は好きな事をして、あるいは何もしないで、静かにお迎えを待ちましょう。


早川幸子 [フリーライター]さんが良いこと言っている。最後の部分だけ引用させてもらう。

尊厳死、自然死ブームの裏側にあるもの
胃ろうは本当にムダな医療なのか?

 尊厳死が法制化されれば、適切な治療を行えば助かる命も、医療行為を何もしないことが良いことのように思われ、患者は次々と死の淵に立たされるかもしれない。

 かつての過剰医療に対する反動なのか、自ら尊厳死、平穏死、自然死を求める人も増えているようだ。しかし、そのブームの裏側にある国の医療費削減策といった仕掛けを知っても、人々は素直に死を選ぶのだろうか。

 多くの人が本当に求めているのは、「最後まで自分を大切にしてほしい」「自分らしく生きたい」という尊厳ある生を全うすることだと思う。それをさせずに、尊厳死を選べば解決するかのような喧伝は、問題のすり替えでしかない。