ここから話は飛んで、有島の心情吐露に入る。有島は農場を手放すべきだと判断した倫理的な理由を次のように述べる。端的に言えば、もう元はとった。これ以上とるのはもはや犯罪だという判断である。ここは彼独特のダンディズムが前面に出る。

私の父がこの土地に投入した資金は、毎年諸君から徴集していた小作料金に比べればまことにわずかなものです。

それから地価も開墾当時と比べれば大幅に上昇しています。その理由は、私の父の勤労や投入資金の利子やが計上された結果であります。しかしそればかりが唯一の原因ではありません。地価というものは、いわば社会が生み出してくれたもので、私の功績でな いばかりでなく、諸君の功績だともいえません。

このことを考えてみれば、土地を私有する理窟はますます立たないわけになるのです。

もう一つの理由、ここでは有島は愚直というほどに率直である。同時に自己の心情世界の強迫的な拡大を感じ取れる。

もし私がほかに何の仕事もできない人間で、諸君に依頼しなければ今日を食っていけないようでしたら、非を知りながらも諸君に依頼して生きようとしたかもしれません。

しかしながら、私には一つの仕事があって、とにかく親子四人が食っていくだけの収入は得られています。

かかる保証を有ちながら、私が所有地解放を断行しなかったのは、私としてはなはだ怠慢であったので、諸君に対しことさら面目ない次第です。

共有制への移行という大枠はすでに示したが、最後に具体的な形態についていくつかポイントをあげてある。

だいたい以上の理由のもとに、私はこの土地の全体を諸君全体に無償で譲り渡します。

いったんこの土地を共有した以上は、ともに平等の立場に立つのだということを覚悟してもらわねばなりません。

ただし、永く住んでいる人、きわめて短い人、勤勉であった人、勤勉であることのできなかった人等の差別があるので、それらを斟酌して、この際私からお礼をするつもりでいます。

また私に対して負債をしておられる向きもあって、その高は相当の額に達しています。これは適当の方法をもって必ず皆済していただかねばなりません。私はそれを諸君全体に寄付して、向後の費途に充てるよう取り計らうつもりでいます。

今後の管理のあり方についても、有島は一定の構想を作り上げた。

今後の諸君の生活は、諸君が組織する自由な組合というような形になると思います。その運用には相当の習練が必要です。それには、永年この農場を差配 していた監督の吉川氏が、幾年かの間実務に当たってもらうのがいちばんいいかと私は思っています。もとより一組合員の資格をもってです。

巨細にわたった施設に関しては、札幌農科大学経済部に依頼し、具体案を作製してもらうことになっています。案ができ上がったら、私は全然この農場から手を引くことにします。

最後に有島は、この組合が農民運動の拠点として、また革命の拠点として成長することを希望している。

諸君の将来が、協力一致と相互扶助との観念によって導かれ、現代の悪制度の中にあっても、それに動かされないだけの堅固な基礎を作り、諸君の精神と生活とが、自然に周囲に働いて、周囲の状況をも変化する結果になるようにと祈ります。

この言葉は、北海道の民医連運動に対する有島のエールとも受け止められる。