雑駁な印象だが、それがクーデターであったことは間違いないし、モルシ政権の打倒がクーデターという形式をとったことは正しいとはいえない。

クーデターという手段に訴えなくても、政権の崩壊は時間の問題であったし、そのようにすべきだったのである。

ただそれがより平和的な移行をもたらしたか否かは分からない。いずれにせよモルシはやめる気はなかったし、政権維持のために暴力を用いる可能性はあったからである。

その上で、二つの問題を提起しておきたい。

まず我々はエジプトの民衆が抱いた同胞団に対する強い危機感を共有しなくてはいけない。問題の根源はムルシの失政ではなく、同胞団の邪悪さである。そこにすべての出発点がある。

無論、同胞団とそれを支持した広範な民衆とは分けて考えなければならない。しかしそのことによって同胞団の邪悪さは免罪できないのである。それは合法的に政権を獲得したからといってナチスを免罪できないのと同じだ。

もうひとつ、8月14日を境として、状況は明らかに変わったということである。彼らは明らかに強制排除を待ち構え、それを機に社会全体を標的とする攻撃に打って出た。

そこに至る経緯がいかなるものであるにせよ、いま彼らの正統性を擁護することは明らかに間違っていると思う。

エル・バラダイは、“国際人”らしい盛大な最後っ屁を放って、ウィーンへと逃げ去った。しかしエジプトの民はそこから逃れることはできない。災難には立ち向かうしかないのである。