7月3日

7月3日深夜 モルシ大統領、「軍が行程表を発表したことはクーデターそのものであり、完全に拒否する」と表明。今後も自らが大統領だと主張し、国民に対し「クーデター」に対抗するよう訴える。

7月3日 モルシ大統領、軍の超法規的措置により事実上解任される。

7月3日夜、テレビでシシ軍最高評議会議長が今後の「政治行程表」に関する声明を発表。現行憲法を一時停止したうえで、早期に大統領選挙を実施することとなる。

7月3日夜 タハリール広場には数十万人が集まり、大統領解任を喜び合う。

7月3日 同胞団と反大統領デモ隊が各地で衝突。少なくとも14人が死亡、約100人が負傷する。

7月4日

7月4日 最高憲法裁判所のアドリー・マンスール長官が暫定大統領に就任。

7月4日 同胞団はモルシ氏がひきつづき大統領職にあると主張。軍の行動はクーデターだと非難。モルシ支持の大規模デモを呼びかける。

7月4日 マンスールが就任宣誓。「エジプトの革命派の人々が国のいたる所で声を上げた。世界に対し力強さを示した彼らに敬意を表する」と述べる。また「同胞団も国民の一部であり参加を歓迎する」と国民的和解を訴える。

7月4日 トルコのダウトオール外相、「選挙で選ばれた政権が軍事クーデターで打倒されるのは認められない」と批判。

7月4日 アムル外相(モルシ解任直前に辞任)、ケリー米国務長官など複数国の外相とカイロ駐在の各国大使に連絡。「軍の行動は国民の反政府デモに導かれたものであり、政治的な役割はない。これはクーデターとは正反対のものだ」と強調する。

7月5日

7月5日 タハリール広場付近で同胞団と反モルシ派が衝突。2人が死亡。衝突はエジプト各地で発生し、アレクサンドリアで14人が死亡するなど死者は少なくとも30人に達する。

7月5日 同胞団指導者バディア、デモで演説し「モルシ復権までデモを続ける」と発言。

7月5日 米国務省のサキ報道官、エジプト各地の衝突を「非難する」と表明。全ての指導者に対して、暴力を阻止するよう求める。

7月8日 マンスール暫定大統領、33条からなる暫定憲法を発表する。

7月8日 共和国防衛隊本部前で同胞団デモ隊と治安部隊が銃撃戦。治安部隊4人を含む57人が死亡。

7月9日 マンスール暫定大統領(最高憲法裁判所長官)、ビブラウイを首相に任命。

7月10日 マンスール暫定大統領、「憲法宣言」を公布。

7月10日 検察当局、治安部隊との衝突を扇動した容疑で同胞団最高指導者バディアらの逮捕を命じる

7月10日 同胞団、「われわれはクーデターを行ったものたちとは取引しない」とし、暫定政権による入閣要請を拒否。

7月16日 ベブラウィ首相率いる暫定内閣が発足。各分野の専門家が中心の「実務型」となる。シシ国防相(軍最高評議会議長)とイブラヒム内相が前政権から残留。

7月16日 同胞団は「内閣は軍の戦車によってもたらされたもの」とし、入閣を拒否。抗議行動を展開する。治安部隊との衝突で7人が死亡、260人が負傷する。

7月24日 マンスール暫定大統領、「国民和解協議」を始める。同胞団は参加を拒否。

7月26日 カイロのタハリール広場などで「反テロ・反暴力」の大規模デモ。シーシ国防相・副首相が国民に呼びかけたもので、軍によるデモの動員は初めて。

7月26日 タマルド(反乱)、「反テロのデモへの参加は国民の義務である」と支持し、「全同胞団指導者の拘束を求める」と訴える。

7月26日 イブラヒム内相、同胞団の座り込みは「近いうちに法律に従って一掃されるだろう」と発言。治安部隊が強制排除に乗り出す可能性を示唆。

7月26日 検察当局、「スパイ容疑」でモルシ前大統領に15日間の拘束命令。ハマスがエジプトで破壊活動を行うのを助けたとされる。米国やEUはムルシの釈放を求める。

7月27日 カイロ郊外ナセルシティーで治安部隊と同胞団との衝突。72人が死亡する。

2013年8月

8月1日 内務省、速やかに座り込みを終了するよう求める声明。同胞団は強制排除の意思表示だとし、反発を強める。

8月2日 エルバラダイ副大統領、「現在の最優先課題は暴力の停止である」とし、同胞団との対話の必要性を強調。

8月3日 ベブラウィ首相、治安の回復を訴えると同時に、「和解の必要性ははっきりしている。いかなる国民も新たな政治生活から排除されてはならない」と強調。

8月3日 ファハミ外相がエジプト訪問中のバーンズ米国務副長官と会談。暴力を否定する限りいかなる政治勢力も排除しないとの方針を表明。

8月7日 米国など外交代表団、同胞団に対する説得活動を断念。同胞団はモスクやカイロ大学前で数千人規模の座り込みを続ける。

8月11日 同胞団はアズハル・モスク指導者のアフマド・タイイブによる調停案を拒否。当面の政治的解決の道が絶たれる。同胞団は「アズハル・モスクが犯罪の隠れ蓑となっている」と非難。

8月11日 同胞団はナスル・シティのラービア・アダウィーヤ広場とギーザのナフダ広場の要塞化に着手。

8月14日

8月14日 非常事態令が発動される。治安当局がムスリム同胞団のカイロでの座り込みを強制排除する。死者数は421人にのぼる。

8月14日 ベブラウィ首相、「混乱と病院や警察署などへの襲撃が蔓延しており、事態は容認の限度を超えていた」と述べる。

8月14日 エルバラダイ外務担当副大統領がデモ隊の弾圧に抗議して辞表を提出。

8月15日

8月15日 同胞団、政府庁舎や警察署、キリスト教会に対する襲撃を続ける。

座り込み排除に続く16時間のうちに104件の暴力行為が実行された。財務省本庁舎やギザの県庁舎が焼き討ちされた他、警察署と駐在所など31か所、治安部隊の建物も破壊され、車や戦車など燃やされる。18のキリスト教会、修道院、キリスト教徒の学校3件、住居25件が襲撃された。(中東マガジン

8月15日 内務省は、政府庁舎に対する攻撃には実弾で対処すると声明。

8月15日 青年組織「反抗」、同胞団の破壊活動から政府庁舎や教会を守るため、「監視グループ」を結成するよう呼びかける。

8月15日 軍がタハリール広場を封鎖。

8月15日 米主要紙は15日、社説で一斉にエジプト軍事援助の中止を求める。イスラエル、サウジアラビア、UAEなどは、地域の不安定化をもたらすとの声。

8月15日 オバマ米大統領、強制排除を激しく非難。エジプト軍との合同軍事演習を中止すると発表。

8月15日 国連安全保障理事会、「全当事者に対し暴力を停止し、最大限に自制するよう」もとめる。パンギムン事務総長は、治安当局によるモルシ派の強制排除を「最も強い言葉で非難する」と声明。

8月16日

8月16日 エジプト政府、オバマ発言は「事実」に基づいておらず、暴力的な集団を勢いづかせるものと批判。

8月16日 同胞団は、強制排除で数百人が死亡したとし、全国的な「怒りの百万人デモ」を呼びかける。

8月16日 同胞団は「クーデター体制を拒否することは宗教的、国民的、道徳的義務となっており、放棄することはありえない」と声明。今後1週間にわたり全土で連日デモに取り組むと宣言。

8月16日 ムスリム同胞団、「怒りの金曜日」デモを展開。この日だけで少なくとも80人が死亡。全土で15の警察署が襲撃され、少なくとも警察官24人が殺害される。

8月16日 国内の34の人権団体が同胞団を非難する共同声明。「同胞団は国民に対し過剰な暴力を加え、国家を混沌に陥れようとしている」とする。

8月16日 コプト教会、「武装テロリスト集団と対峙している軍や警察、組織を強く支持する」と表明。

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同胞団のデモにより焼き尽くされた跡

8月17日

8月17日 マンスール暫定大統領の政治顧問が記者会見。「われわれは宗教に名を借りたテロや暴力から国民を守らなければならない」「エジプト国民は過去のどの時期よりも、共通の敵を前にして団結している」と表明。

8月17日 ビブラウィ首相、多数の警察署や政府系庁舎を襲撃している同胞団グループと「和解することはできない」と言明。

8月17日 カイロ中心部のラムセス広場近くのモスクで立てこもっていた数百人の同胞団が、治安部隊との銃撃戦の末排除される。

8月18日 軍トップのシシ国防相(第1副首相兼任)、同胞団を含む全国民が今後の政治プロセスに加わるよう訴える。同時に暴力に訴える同胞団員は徹底して鎮圧する姿勢を示す。

赤旗によると、この日の閣議では激論が闘わされた。ベブラウィ首相が同胞団に対する解散命令の実施を提案。エルディン副首相が、非常事態令を早期に解除し、全国民の政治参加を保証するようもとめる。ファハミ外相は6月30日以降の衝突に関する調査委員会を設置するようもとめる。

8月18日 ムスリム同胞団が大規模な抗議デモ。カイロでは規模を縮小するなどの動き。

8月18日 刑務所に向け移送中の同胞団員36人が脱走。治安部隊により射殺される。

8月18日 バラダーイ、強制排除に抗議し副大統領を辞任。ウィーンに向かう。

8月19日 同胞団、カイロ郊外や北部アレクサンドリアなどで夜間外出禁止令を破り決行。

8月20日 エジプト治安当局、同胞団の最高指導者バディア団長を逮捕。ほかにもシャーテル副団長や自由公正党のカタトニ党首らを暴力扇動の容疑で逮捕。同胞団は強硬派のエザットを暫定団長に任命。

8月20日 青年組織「反抗」、「バディア氏逮捕は、革命の道を前進し、テロとのたたかいをすすめるうえで重要な一歩となった」と評価する。