2013年

2013年1月

1月6日 カンディール内閣の大幅改造。不安定化する政治・経済情勢に対応。

1月11日 ムバラク前大統領のやり直し裁判が開始される。

1月25日 革命2年を契機に大規模なデモが発生。モルシ大統領はポートサイドなど北部3県に非常事態を宣言。

2013年2月

2月 イランのアフマディネジャード大統領がイスラム協力機構首脳会議への出席のためエジプト訪問。ムルシー大統領は空港でアフマディネジャード大統領を出迎えたが、公式な首脳会談は行わず。

2013年3月

3月末 エジプト、イラン人観光客の受け入れを開始。エジプト・イラン間の定期便の運行も開始される。エジプトのサラフィー主義者が抗議行動を激化させる。

2013年4月

4月下旬 民間調査機関「バシーラ」の世論調査。モルシ大統領の支持率は、就任当初の72%から30%まで低下する。強権的な手法に対する非難も高まる。

4月末現在 失業者数は約343万人、失業率は12%を超える。失業者は革命前より100万人以上の増加。基礎食料を中心に物価も上昇。

2013年5月

5月1日 13人の青年が立ち上げた新組織“反抗”、大統領不信任と早期選挙実施を求める署名活動を開始。

5月7日 内閣の大幅改造。9人を入れ替え、同胞団のメンバーをさらに増やす。

5.13 「4月6日運動」、モルシ支持を撤回し辞任要求運動に加わる。活動家やジャーナリストが名誉毀損などの容疑で次々に逮捕される。

5.29 「反乱」が記者会見。署名数は3週間で「700万人分」に達したと発表。フェイスブックや口コミを通じて一気に広がる。

2013年6月

6月16日 モルシ大統領、南部の観光地ルクソール県の知事に「イスラム集団」幹部を任命。観光業者の反発を受け辞退。(イスラム集団は観光客ら62人が死亡した無差別テロ事件の犯人)

6月20日 大統領不信署名が目標の1500万筆を突破。

6月25日 モルシ大統領がテレビ演説。早期大統領選挙の実施を求める野党勢力との対決姿勢をとる。

6月26日

6月26日 “反抗”グループ、新たな政治組織「6月30日戦線」を立ち上げたと発表。

6月26日 「国民戦線」の代表サバヒは「6月30日には、ムスリム同胞団の強権支配を終わらせ、革命を再び前進させる新たな波をつくろう」と呼びかける。

6月26日 夜に入り、約1万人がタハリール広場に集結。

6月26日 モルシ大統領がテレビ演説。政策について一定の反省を示しつつも、「選挙で示された民意を無視しようとする勢力がいる」と反対派との対峙を打ち出す。

6月27日 野党勢力「国民救済連合」、大統領は過ちの深刻さを認識していない」と批判。30日のデモへの参加の意を表明。

6月28日 アレクサンドリアで両勢力の衝突。巻き込まれた米国人男性ら2人が死亡する。

6月28日 同胞団はイッティハーディーヤ大統領宮殿近くのラバ・アダウィーヤ・モスク前で座り込みを開始。

6月29日 “反抗”の署名運動、目標の1500万人を大きく超える2200万人の賛同を獲得。

6月30日

6月30日 「反乱」(タマルド)の主催する大集会。タハリール広場に多くの民衆が集まりモルシー退陣を求める。集会は、2日までに退陣の意思表明がなければ大統領宮殿にデモ隊が向かうと宣言。

6月30日 全土で大統領退陣と早期選挙実施を求めるデモ。「革命」時を上回る数百万人が参加する。

6月30日 モルシ大統領、英紙ガーディアンとのインタビュー。自らが民主的な選挙で選ばれたことを強調し、辞任する考えがないと述べる。

6月30日夜 大統領報道官、「デモの要求は尊重するが、対話が必要だ」と述べる。

6月30日 同胞団本部前で抗議活動をしていた反大統領派に対する銃撃で8人が死亡。同胞団ナンバー2のシャーテルが銃撃を指示したとされる。暴徒化したデモ隊の一部がカイロ郊外の同胞団本部を襲撃し火を放つ。

6月 非政府組織「ナディム人権センター」、1月から5月の間に282件の拷問が行われ、161人が死亡したと発表。

2013年7月

7月1日

7月1日 主要野党勢力「国民救済戦線」や「4月6日運動」がデモ継続を呼びかける。

7月1日 アムル外相はじめ5閣僚が辞表を提出する。

7月1日 軍最高評議会のシシ議長(国防相)が、48時間内に「国民の要求」に応えるよう大統領に“最後通告”を発する。

軍最高評議会声明: 反大統領派の運動は国内はもとより国際的にも称賛された。時間を浪費すればそれだけ国民の分裂や衝突が激しくなる。大統領は48時間以内に各政治勢力との間で事態収拾のための合意を達成すべきだ。これに失敗した場合、軍は今後の政治プロセスに関する「工程表」を発表する。われわれが(一昨年のように)政治や政権運営に携わることはない。

7月1日 警察を管轄する内務省、軍の表明を「完全に支持する」と表明。

7月1日夕 エジプト国旗を下げた軍のヘリコプター編隊が、タハリール広場の上空を旋回飛行。デモ隊への連帯の意思を示す。

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7月1日 軍はエジプト中部ファイユーム県の庁舎を占拠。同胞団の知事の権限を剥奪する。

7月1日 同胞団指導部、最後通告は軍による「クーデター」だとし、「これを阻止するために殉教者となれ」と、団員に流血の覚悟を求める。

7月1日 軍の態度表明に対し、反モルシ勢力のなかで意見が分かれる。“反抗”は、「軍の歴史的役割は国民の側に立つことにある」と表明。「4月6日運動」は、「工程表はすでにできている。軍は国防の任務に専念すべきだ」とする。

7月2日

7月2日 大統領府報道官2人が辞任。辞表を提出した閣僚は6人に達する。

7月2日 モルシー大統領とシーシー国防相(国軍トップ)が2度にわたり会談。

7月2日 カイロで、大統領辞任をもとめる100万人の集会とデモ。

7月2日 大統領府は2日、軍の提案を拒否する声明を発表。最後通告を撤回するよう求める。

7月2日夜 モルシー大統領、国民向けにテレビ演説。「国民に選挙で選ばれた責任を果たす。正統性を守るためなら命も惜しくない」と語る。

7月2日夜 カイロ大学前で同胞団と治安部隊との間で激しい衝突。

7月2日夜 48時間を過ぎ、軍が工程表を発表。