産業発展にともなう不変資本の節約

利潤率というのは、V/C+M つまり利潤を不変資本と可変資本の和で割ったものであるから。不変資本が節約できれば利潤率は増加する。

生産力の発展の究極の原因は、

1.「労働の社会的性格」(分業のこと)

2.「精神的労働」(科学・技術のこと)

個別の資本家に不変資本の節約(原材料コストの低下)をもたらすのは

他の企業の部門、とくに生産財を供給する部門での生産力の発展、および企業内での効率的使用(生産性の向上)である。


と、ここまで資本主義の積極的役割を書いた後、今度は否定的な側面を描き出す。

この部分は、まるで今の日本の状況を描いたようにさえ見える。


資本主義的生産様式は、矛盾をはらむ対立的な性質を持っている。

それは労働者の生命と健康を不変資本の節約のために浪費する。

労働者は自分の生活の最大の部分を生産過程(職場のこと)で過ごすのだから、生産過程(職場)の条件は労働者の最大の生活条件である。この生活条件(労働条件のこと)を節約することは、利潤率を高くするための方法なのである。

そのために資本家は過度労働によって労働者を役畜化する。資本家は建物の節約のために狭い不健康な場所に労働者をつめ込む。同じ場所に危険な機械類を寄せ集めて危険の防止手段を怠る。健康に有害な環境も押し付ける。

およそ資本主義的生産は、ありとあらゆるケチ臭さにもかかわらず、人間材料についてはどこまでも浪費をこととするのである。

商品の価値は、その商品に含まれている労働時間によって規定されている。資本はひとつの商品の生産に社会的に必要な労働時間をますます短縮し、商品の価格をその最低限度まで引き下げる。

以下は次節からの引用だが

資本主義的生産は、“実現され商品に対象化された労働” を極度に倹約する。(“” 内は労働者、すなわち労働力商品のことである。こういう言い方をするマルクスは好きではない)

(労働者の立場から見ると)これは倹約どころではなく、“生きている労働”(労働者のこと)の浪費である。肉や血の浪費者であるだけではなく、神経や脳の浪費者でもある。

これが資本主義という時代である。“人類一般の発展が実現され、確保される時代” に直接バトンを渡すべき時代の特徴なのである。

労働者の生命や健康が浪費されるような状況は、資本主義という生産様式がもたらした労働の社会的性格の変化にもとづいている。

しかしそれは “人間社会が意識的に再建される時代”に向かうために、必然的に通過しなければならない時代なのである。

(と、相当むりやりに意訳した)


なお、この節の最後の段落は、何回読み直してもよく分からない。

拡大再生産や設備投資にともなって、費用も増大するがそれ以上に利潤(剰余価値)が増大するので、利潤率は相対的に増大すると言っているようなのだが、一方では「剰余価値率には変動が生じないこと」を議論の前提にしているようにも見える。