先日、「穴隈鉱蔵の弁」というのを紹介した。

いやしくも国のためには、妻子を刺し殺して、戦争に出るというが、男児たるものの本分じゃ。かつ我が国の精神じゃ。人を救い、村を救うは、国家のために尽くすのじゃ。我が国のために尽くすのじゃ。

というセリフが、どうにもこうにも支離滅裂なのが気になって、原文を当たってみた。

青空文庫の 泉鏡花 戯曲「夜叉ケ池」である。

場所  越前国大野郡鹿見村琴弾谷
時   現代。――盛夏
人名  萩原晃(鐘楼守)
     百合(娘)

この二人が夫婦、萩原晃というのは実は伯爵家の息子で、この村にふらふらと彷徨い込んで、鐘つきになってしまったといういい加減な設定。

穴隈鉱蔵は県の代議士で、「美しい日本」の代表みたいな人物だ。

筋立ては田舎芝居そのものだが、芝居のツボはしっかり押さえられている。泉鏡花という人物、かなりの芝居好きと見える。

実は穴熊のセリフには伏線があって、百合とともに逃げようとする晃の前で、百合の叔父という人物が村の利益代表として訴える。

私(わし)が姪(めい)は、ただこの村のものばかりではない。一郡六ヶ村、八千の人の生命(いのち)じゃ。その犠牲の女を連れて行(ゆ)くのは、八千の人の生命を、お主(ぬし)が奪取って行(ゆ)くも同然。

これに対して、晃が激昂する。

ならん、生命(いのち)に掛けても女房は売らん、竜神が何だ、八千人がどうしたと! 神にも仏にも恋は売らん。お前が得心で、納得して、好んですると云っても留める

ここで加勢に入った晃の友人学円(これも京大教授)が反論する。

天を泣かせ、光を隠して、それで諸君は活(い)きらるるか。…六ヶ村八千と言わるるか、その多くの生命は、諸君が自ら失うのじゃ。

これなどは反原発の論理そのものだ。

そこに、「村の論理」を「国の論理」に包摂するものとして穴隈鉱蔵が登場する。「朝の風」ではそれが取り上げられているのだが、実は村の論理と串刺しになっているのだ。

そして晃は穴熊に対して怒り狂い、次のセリフを発する。

死ね、死ね、死ね、民のために汝(きさま)死ね。見事に死んだら、俺も死んで、それから百合を渡してやる。

ただ、本では代議士となっているが、実はただの県議だ。これに対して侯爵といえばスーパー大名格である。福井松平家50万石が侯爵である。加賀前田家ですら侯爵だ。眉がぴくっと動けば、たちどころに穴熊の首は飛ぶ。これでは話は終わっている。


私が演出家なら、穴隈鉱蔵は石破幹事長にお願いする。百合はキャンディーズのスーちゃんだ。その叔父には敦賀市長が適役だろう。

さぞかし、良い芝居になるだろう。