駒澤史学 10, 44-51, 1962

洞門禅僧と神人化度の説話

葉貫磨哉

洞門諸派の禅僧がようやく全国的発展への道を歩み始めるのは14世紀後半からである。これら発展にあたって各派の禅僧は有力外護者の庇護や、被支配者等の共同の外護によって法流の持続進展を計った。

しかしながら禅宗の宗旨は高尚深遠で、地方の比較的知識の低い階層には理解することは難しかったに相違ない。しかし素朴で原始的な信仰心は持っていたとみられる。

そこでコレレ素朴な住民に禅旨を説く方便として、最も簡単でそして人々の本来の信仰心を惹起させる因縁話を布教の手段として用いるようになった。

すなわち禅僧が神に戒を授けて弟子とし、神は夜中密かにそれら禅僧の室中に入室参禅し、果は大いに印可され、神はその礼を謝し、噺するに禅僧の住する山居を護持することを約束するのである。

これを聞いた山下の居民が如何ばかりか禅僧の高僧大徳なるを知り、競い来たって帰依者となり、大いに梵字を構えて法灯の持続発展する基をなしたといい、これら居民の信仰ぶりを聞いた支配者が、山林田地を寄進して住持・雲水の食輪にあてることなども現れ、……

このような説話は元来その土地に住む住民が、その土地の土俗神に対する純粋素朴な信仰心を持ち得ているところから、住民の神に対する信仰心をこのような説話を創りだして禅僧への信仰心にすり替えることを目的としたものにほかならない。

禅旨を理解できる程度の学問と余裕を持つ階層に、初めから帰依され庇護される諸派にはこのような説話は伝承されず、むしろ名も無き貧夫野人の帰依を促すため、またはこれら非支配者たちの共同の外護を期待するために作られたものということができる。


以上は50年も前の論文の書き出しである。実に簡潔にして要を得た名文である。私の想像は図星だったようだ。これで禅宗の分布地域が、何故そういう分布なのかも見事に説明できる。

禅宗というのは海苔を巻いた握り飯みたいなもので、皮一枚下はただの飯だ。上の海苔だけ見て、全部が海苔でできていると思ったら大間違いだ。

2日間の便秘がスッキリしたような気分だ。