この間は毎日・TBSとの因縁で田中均インタビュー事件を扱ったが、どうもこれは一連の流れとは別扱いにすべき問題のようだ。

とりあえず、事件の経過を追ってみた。

これは安倍首相にとってかなり具合の悪い事態に発展しているようだ。

ただ、メディアはおそらく意識的に18日付の安倍フェースブック発言を隠しているようだ。しかし一連の文書の中でも、これは最悪のものだ。


2013.6.12 22:38

 安倍晋三首相は12日夜、自らの交流サイト「フェイスブック」で、かつて対北朝鮮外交を担っていた田中均元外務審議官を「外交を語る資格はない」と痛烈に批判した。

あの時田中均局長の判断が通っていたら5人の被害者や子供たちはいまだに北朝鮮に閉じ込められていた事でしょう。外交官として決定的判断ミスと言えるでしょう。それ以前の問題かもしれません。

そもそも彼は交渉記録を一部残していません。彼に外交を語る資格はありません。

文脈としては、北朝鮮に戻すという判断が「外交官として決定的判断ミス」であり、交渉記録を一部残していないのが「外交を語る資格」の欠如の論拠となっている。「マスコミの誤った報道」という言い方は通用しない。

 

6月14日、民主党の細野豪志幹事長(41)が、自身のFacebookで安倍首相を批判した。

「田中氏はかつて外務官僚でしたが、今は一民間人。当然、外交について語る『表現の自由』を有しています。最高権力者に『語る資格がない』と断じられた田中氏は語り続けることができるでしょうか。仮に、田中氏が最高権力者の言に逆らって語る勇気を持っていたとしても、メディアは彼 の見解をこれからも伝えることができるでしょうか。そのことも私は危惧します。」

「最高権力者が持つ強大な権力を考えたときに、あのような発信は自制すべきであったと私は考えます。」「今の自民党には安倍総理の発言 を諌める人すらいそうもありません。そのことも心配です」

細野さんという人、なかなかいうことがかっこいいですな。「総理は、〈民主党は息を吐く様に嘘をつく〉と過激な言葉で応酬している」との報道もありますが確認していません。

→ありました。これは全文掲載に値する文章です。かなり長いので、次の記事に別掲します。

 

朝日新聞の18日社説

この(安倍首相による)批判は筋違いだ。田中氏は外交官として、政治家が決断するための選択肢を示したのだ。

(ヘイトスピーチに関連して)「どんなときも礼儀正しく、寛容で謙虚でなければならないと考えるのが日本人だ」と語ったのは、安倍首相ではなかったか。

 

あの「週刊新潮」ですら懸念を示している。

「いま政界では“安倍のポチ現象”なる言葉が流行っています。中堅クラスの議員たちが、元審議官ごときを相手にしないよう諌(いさ)めるべきですが、秋の内閣改造を前に、何も言えなくなっているんです」とのコメントを肯定的に引用している。

 

田中均元外務審議官は、東京都内で講演し、安倍晋三首相の非難は「事実誤認だ」と反論

6月24日

安倍晋三首相は田中氏が対北朝鮮交渉の外交記録を保管していないと批判したが、このことについて「記録をつけないで交渉を北朝鮮でやるなんてことはあり得ない」 と反論した。

さらに、「最初は記録なんて何もないとおっしゃっていた。今は記録が一部ない(と言っている)。どっちなのか分からない」と反撃した。

「拉致被害者を北朝鮮に帰すべきだと(私が)主張したことになっているが、そ うではない。政府として一時帰国しかないと決めた」と指摘。「(首相が)ネガティブに捉えているとしたら、すごく残念だ」と述べた。

ちなみにこの講演会はアジア調査会(会長・栗山尚一元駐米大使)の主催したもの

ゲンダイの高野盂氏は、一時帰国問題そのものについて以下のごとくコメントしている。

付け加えれば、02年の安倍・田中論争では、田中のほうが正しかった。
安倍が後先を考えずに“一時帰国”の約束を破ったことで、その後10年以上にわたって日朝対話は断絶し、それが6カ国協議を停滞させる一因となった。そのことについては、米中韓も不快感を抱いている。

一聴に値する。

 

首相、田中均氏を再び批判 「2回の交渉記録ない」

2013/7/3

 安倍晋三首相は3日、日本記者クラブ主催の党首討論会で田中均元外務審議官をふたたび非難した。安倍首相が小泉内閣の官房長官だった当時、田中氏による北朝鮮との交渉記録を調べるように指示したが、田中氏の2回の交渉記録が残っていないというもの。首相は、「田中氏本人に確かめたら『私は知らない』と言った。

その上で、「(田中氏は)権力と闘う覚悟をして発信している。外交官の基本を踏み出すことをした人だ」と発言した。

これは明らかに、批判の論拠をすり替えている。12日のフェースブックでは、一時帰国者を北に戻せと主張したことが、外交官失格だということになっている。しかし3日の発言では30回の交渉のうち2回分が欠損していることが、外交官の基本を踏み外した行為だということになっている。

 

ずっとグーグルをたどっていたら

安倍首相 田中均氏 民主党細野氏 Facebookでの批判応酬 全文を読む

というページがあった。すでに削除されていたが、グーグルというのはすごいもので、キャッシュというものがあってそこで読めるのですな。▼をクリックすればいいのです。新聞記事などで都合が悪くて削除したようなものも読めるのでしょうか。

ただしページ主は親安倍・反田中のようです。

 

ウィキペディア

田中 均(たなか ひとし、1947年1月15日 - )は、日本の元外交官。父は総合商社日商岩井(のち双日)元会長の田中正一。

1969年京都大学法学部卒業後、外務省に入省。

1979年の米大使館赴任以降は対米関係の専門家として、日米半導体交渉、在日米軍普天間基地返還合意などに関わり、1996年の日米安保共同宣言の外務省における責任者を務めた。

東アジア外交との関わりは1987年の北東アジア課長就任以降であり、北朝鮮核危機(1993年)後、米朝枠組み合意からKEDO設立に至る日本側の実務責任者でもあった。

2002年の日朝首脳会談を巡って一躍有名となった。30回以上に及ぶ北朝鮮代表者「ミスターX」との水面下の交渉を担当。歴史的な首脳会談実現の立役者となった。交渉は極秘の形で進められたが、総理とはこの間80回に渡って面談している。

その後、日朝国交正常化を優先し、拉致被害者問題を 軽視したとの批判が強まった。 2003年9月には「建国義勇軍国賊征伐隊」を名乗る右翼団体によって、自宅ガレージに爆発物が仕掛けられる事件が発生。この事件に対し、石原慎太郎東京都都知事は「(売国的行為をしたのだから)当ったり前の話だと思う」とコメントした。

2005年、外務審議官(政治担当)を最後に退官。研究職に就いて執筆・評論活動を行っている。