頃は安政2年(1855年)、幕末のことである。
零細漁民が場所請負人の仕掛けたニシン漁の大網を切るという騒動があった。
背景はなかなかややこしいが、次のようなものである。
北海道を仕切っていたのは松前藩という大名。当時北海道は米が取れないので石高はゼロ、にしんや昆布の売上で藩財政をまかなっていた。
といっても武士は商売は苦手、商人に漁場を請け負わせて、そこからピンはねするという商売である。
この請負人は、最初は各地に運上屋という施設をたちあげて、現地のアイヌ人や和人の漁民から買い上げる商売だったが、これではウマミが少ない。直接企業を起こして現地の人を使役して、自ら漁業を営むようになった。

そこから3つの問題が発生してくる。
一つは乱獲だ。請負人には資本があるから大規模漁業をやる。大網を仕掛けて文字通りに真を一網打尽にする。当然資源は枯渇してくる。中小漁民の顎は干上がるという具合だ。
二つ目は、「場所」での階級関係が変化してくる。それまでは地元民は通商相手であり、「メノコ勘定」といっても基本的にはイーブンだ。しかし彼らを労働者として使役するようになると、状況は一変し、対立は先鋭化する。
3つ目は権力の変容だ。請負人が財力を持つようになれば、松前藩の政治を動かすようになる。藩は請負人の顔色をうかがうことなく政治を行うことはできなくなってくる。
別に汚職などやらなくてもよい。藩の財政は運上金で成り立っているわけだから、請負人が困れば藩も困るのである。
とは言っても、松前藩としては資源が枯渇しては困るわけで、そこがローカルな権力のローカルたる所以だ。
藩としてはこれまでは目をつぶってきたが、ここいらが限界ということで「大網禁令」を発することとなった。

ここからが一躍現代的な話となる。
「大網禁令」を受けた請負人たちは、「恐れながら」と箱館奉行所に駆け込んだ。

ここが話しの難しいところだが、実は当時の北海道は幕府と松前藩の二重支配構造になっていたのである。
安政といえば、時代劇のフアンにはお馴染み、幕末の「安政の大獄」という時代で、吉田松陰ら勤皇の志士が獄に繋がれ、最後に大老井伊直弼が桜田門城外で水戸藩浪士によって斬殺されるという時代である。
その背景にあったのはアメリカのペリー船長の黒船だが、本当のところ最大の脅威はアメリカではなくロシアだった。
そのロシアとの最大の接点となったのが北海道、千島、樺太だったのである。
それまで北海道を全面的に管轄していたのは松前藩だったが、19世紀の初めからは幕府が直接管理に乗り出すようになった。
その拠点が箱館奉行所だった。松前藩も箱館奉行所には頭が上がらなかったのである。

請負業者が「恐れながら」と申し出た内容は次のとおりである。
1.今はそういう時代か。もし北海道がロシアに奪われれば、資源も持続性もへったくれもないでしょう。
たしかにこれは説得力がある。
2.大網禁止は国家収入の減少をもたらし、経済的な国力の低下をもたらすのではないでしょうか。
これなんぞ、今の経団連の国際経済競争力の低下の論理と瓜二つ。
3.いったん事あれば軍事的にも請負業者の船舶、軍船の運転能力が必要になるでしょう。

これを聞いた箱館奉行所は、松前藩の頭越しに、大網の運営を許可することになる。

原発の論理が似たような軌跡をたどっているが、大企業の本質は変わらないということだ。