都議選での躍進は20年ぶりの恋のように心ときめくものである。

この勝利の意義は何よりも、自民党型政治にかわる受け皿レースで一歩先に出たということにあるだろう。

とくに「共産党の言っていることはいいけど、力がないから」と言っていた人たちに、大きな刺激となるだろう。

コマーシャルではないけど、「どこに入れますか、共産党しかないでしょう」という言葉がスっと入る雰囲気だ。

この雰囲気というのが大事だというのは、アベノミクスが良い例だ。

テレビや新聞はあっけにとられている。主見出しに「共産党・躍進」は出てこない。

解説や分析の中でも、低得票率だとか、維新のズッコケでタナボタだとか、みんな最下位当選のギリギリだとか、投票数は下がっているだとかという分析ばかりだ。なんとか躍進を言葉でかき消そうとする意図が窺われる。それだけショックだったのだろう。

今回の勝利を「歴史的な勝利」と力むほど若くはなくなってしまったが、日本の政治の流れを変えていく上で、その意味を過小評価してはいけないと思う。

選挙屋の分析ではなく、しっかりした政治評論家の分析はこれから出てくるのだろう。

政策論戦の場ではすでに、自民党型政治に代わる受け皿としては共産党しかないことはかなりはっきりしてきている。民主党でもみんなの党でも維新でもない。

ただそれが実際の選挙戦の場面に反映されるにはかなり時間がかかるだろうし、権力メディアはそれを極力抑えようとするだろう。より共産党に近い中間政党が「つなぎ」として登場する可能性もある。

しかしそれはいつかは出てくる。東海大地震がかならず来るように。

怒涛のような民主党ブームを作り出した深部の力は、そうせずには居られないだろう。

それが「今でしょう!」とは、なかなか行かないだろうが。


以下はアルコールが入ってからの、半ば愚痴、半ば強がり

我が家のバカ息子は、いっぱしの政治談義はするくせに、いつも棄権だ。

いつかは、「今度は投票するぞ」といって出かけたが、「みんなの党」だった。

いじめられているやつほど、いじめられていることに気がつかない。

そのくせ、「団塊の世代が俺たちの給料を横取りする」と八つ当たりしてみせる。

きっと生活保護世帯にも同じ言葉を投げつけるのだろう。

「まったく、親の顔が見てみたい」という言葉が降り掛かってくるのが、我らが団塊の世代である。

出口調査で分かった。共産党の躍進を支えたのは60歳代、まさにその団塊の世代だった。

団塊の世代はまだ死んでないぞ! 安保の世代はまだ生きているぞ!