レバノン内戦とシリア

パレスチナの記事が間に合わなかったもう一つ理由は、レバノン内戦に思わず時間をとられてしまったからです。

その背景には、今日的な状況、すなわちヒズボラのシリア内戦への加担という問題もあります。

レバノン内戦関連の事項は非常に多く、本題のPLOに関する流れが隠れてしまうほどです。

そこで、レバノン内戦関係を別途に年表化しました。まだ出来上がっていないので近日中にアップします。

レバノン内戦の一方の当事者は、レバノン政府ではなくシリア政府でした。

したがって、本来ならレバノン関連に限定せずに、シリアの内政にも関わってシリア年表として書くべきでしょうが、さすがにそこまでは食指が動きません。

とりあえず感想的に、書き留めておきたいと思います。

シリアは、中東地域の独立にあたって首都が置かれたところです。トルコ王朝に代わるダマスカス王朝がそこには成立するはずでした。

しかし、第一次大戦後の密約により、この王国は不成立に終わりました。中東を手に入れたイギリスは、この地域を三つにわけます。一つはパレスチナ、一つはイラク、そしてもうひとつのシリアはフランスに分け与えました。フランスはこの地域をさらにシリアとレバノンの二つに分割し統治します。

分けたのは宗教の違いによる互いの反目をうまく利用し、民衆が団結するのを防ぐ狙いでした。こうしてシリアにはスンニ派、レバノンにはキリスト教マロン派、イスラムのスンニ派とシーア派が1/3づつを占めるような構成にしたのです。

これとは別にイギリスはパレスチナにユダヤ人の入植を認め、混住地域のパレスチナとアラブ人のトランスヨルダンに分割しました。こうして単一のダマスカス王国たるべきであった中東地域は、イラクを含めると5つ、さらにイスラエルをふくめれば6つの国に細分化されることになったのです。しかもこの地域に住むクルド人やアルメニア人には国土は与えられませんでした。すべてはイギリスの勝手によるものでした。

これらの経過を見ると、シリアがこの地域の盟主を気取りたくなる雰囲気も分からないではありません。

話はずっと降って、1970年代。アラブは第三次、第4次の中東戦争を戦い、いずれも敗れます。エジプトはアラブの大義に背を向け、アメリカに擦り寄っていきます。勢いに乗ったイスラエルはさらに版図の拡大を狙います。PLOははじめヨルダンに拠って闘いますが、「黒い9月」事件によってヨルダンから追放されます。この時シリアはPLOを支援してヨルダンと闘うのですが、いざレバノンにPLOが移ってくると、風向きが変わってきます。

パレスチナは支援したいが、イスラエルとはとても太刀打ち出来ないし、エジプトがいなくなった下でPLOが事を荒立てて、その結果戦争に巻き込まれたのではかなわないということでしょう。

一方で、シリアはエジプトが去った後のソ連の中東拠点としての役割を担い、それなりにいい顔をしなければなりません。父アサド大統領の役者としての腕の見せ所です。彼は三つの筋書きを考えました。一つはPLOを統制下に置き、武装行動をコントロールすることです。二つ目はレバノンを統制下に置き、キリスト教徒がヘゲモニーを握る現在の体制を維持することです。三つ目はアメリカとひそかに結び、中東の現状維持という思いを共にすることで、間接的にイスラエルの行動を抑えこもうとすることです。

アメリカの側もとくにこれといった対案があるわけではなく、シリアの提案に乗りました。

しかしこれらの計画はことごとく失敗しました。PLOはもはやシリアの統制に服さず、ソ連・東欧諸国と直接つながる独自の補給ルートを開発していました。レバノンではイスラム・左派勢力が力をつけキリスト教勢力を圧倒していました。キリスト教勢力はイスラエルと結び、シリアに挑戦するようになりました。

こうしてイスラエル軍の82年侵攻が始まり、シリア軍はレバノンから叩きだされてしまったのです。おまけにベカア高原はイスラエルに奪い取られてしまいます。アサドの面目は丸つぶれです。

このとき、東のイラクが新たなアラブの盟主として名乗りを上げました。サダム・フセインです。フセインの手法はアサドと生き写しでした。ソ連からの援助を受けながら、ひそかにアメリカとも手を結び、中東地域をみずからのヘゲモニーのもとに掌握しようと目論んでいました。違うのは、フセインには大量のオイルマネーがあるということです。

イラクの圧力を受けたシリアはイランと手を結びました。思想的にはアラブ民族主義とイスラム原理主義で水と油の違いですが、敵の敵は味方というわけです。80年にイラン革命を成就したイスラム原理派は革命の輸出を望んでおり、シーア派が人口の最大部分を占めるレバノンは格好の浸透先でした。

そういうことで、基本的にはシリアと利害が一致したのですが、イランはその先も目指していました。当時のイランはアメリカと直接対決しており、イスラエルだけでなくその背後のアメリカにも標的を合わせていたのです。

ヒズボラ(の前身)がベイルートのアメリカ大使館や海兵隊宿舎に自動車爆弾で自爆攻撃をかけたとき、さぞかしシリア政府は冷や汗をかいたことでしょう。まかり間違えば、イスラエルの戦車隊がシリアに攻めこむ可能性もありました。しかしイスラエルの残虐行為にうんざりしていた国際世論はゲリラの側に回りました。多国籍軍も、イスラエル軍もとりあえずベイルートからの撤退を余儀なくされたのです。

シリアにはもうひとつの幸運が待ち構えていました。イランとイラクが戦争を始め、レバノンのことになど構っていられなくなったのです。レバノンは無政府状態に陥っていました。最大の軍事勢力であったPLOが力を失い、イスラエルもレバノン南部にまで下がりました。こういう中で唯一残ったシリアが漁夫の利を得ることになったわけです。


シリアは現在混乱に陥っていますが、その混乱を実は一番心配しているのがイスラエルだろうと思います。もし反政府派が勝利すれば、スンニ派のムスリム同胞団(ガザのハマスもムスリム同胞団の一派)が台頭してくるのは必然的です。エジプトに続いてシリアでも反イスラエルの過激派が政権を政権を握れば、ふたたびイスラエルは孤立する危険があります。