歴史家の荒井信一さんのインタビューが掲載されている。
「歴史は反逆を許さない」という見出しが付いているが、中身は戦争観の歴史的変遷をあとづけ、その立場から「無差別戦争観」を否定したものだ。

1.19世紀までは、「無差別戦争観」が支配的だった
国家は正義を体現している、よって戦争は国と国との正義の衝突であり、正義か不正義かを判定する国際組織もないという考え、だそうだ。

2.二度の大戦を通じて「違法戦争観」が定着した
ニュルンベルク・東京裁判、国連憲章や日本国憲法9条など。

安倍首相の考えは「無差別戦争観」に立つものであり、現代において通用しない

正直いって、このやや高飛車な論理には抵抗を覚える。現実には、世界の大勢が「無差別戦争観」を放棄したようには、とても思えないからである。

法律的には一定のクライテリアをもって良い戦争と悪い戦争を分けることができるかもしれないが、またそうせざるをえないかもしれないが、いま我々は、それを肯んじえないでいる人々の心のなかに分け入って、論争を挑まなければならないところにいる。

もちろんこれらの学説が今日の世界においては常識となり、国際法化されていることは事実であるが、安倍首相らがこの論理を「東京裁判思想」と呼び根本的に拒否しているのであるから、馬の耳に念仏であろう。

「違法戦争観」は「今や世界の常識」として形式論理的に押し付けるものではない。国際法上はそう言っても差し支えないのだが、いま争われているのは、もっと価値観的な倫理的な問題なのではないか。

そういう文脈で捉えるなら、いま我々が手にしなければならない武器としての「違法戦争観」は、基本的には、施政者に対して民衆が強制し、今も強制し続けている価値観としての「違法戦争観」ではないだろうか。

そして歴史的事実に具体的に基づいて、過ぐる戦争が「違法な戦争」であったことを有無を言わせずに認めさせることではないだろうか。

2016年12月
論旨が誤解されているようなので区切り線を入れました。
区切り線より上が新井さんの主張、下が私の見解です。(入れなくても分かるとは思うのですが)
ウエストファリア体制の評価については以前にもどこかで書いていますが、とりあえず失念しています。