言葉はとかく踊るものだが、踊らせるつもりで作った言葉は、とりわけ跳ねまわる。

終身雇用制度とか、年功序列制度などがそのたぐいである。

終身雇用というのが終身でないことは最初から分かっている。定年過ぎれば、基本的には会社とは無関係である。年金は会社からもらっているのではなく、賃金の一部としての積立金を取り崩しているだけである。それを恩給などというのは、言う方も気恥ずかしいはずだ。

終身雇用という言葉が表しているのは、一定の年令になるまで、自分の意志に反して解雇されない という雇用形態に過ぎない。

この点の法的縛りがキツければきついほど、雇用は安定したものとなる。したがって終身雇用は、実体としては安定雇用 と呼ぶべきであろう。

どこの国でも雇用の安定はそれなりに保障されているが、「終身雇用」はそれを“文学的に”表現したものにすぎない。

安定雇用は最近の用語で言えば「正規雇用」と同じ意味である。それは雇用の原則であり、最大限に保護されなければならない。
「正規雇用」はさまざまな雇用形態の一つの種類であるかのような言い方がされるが、そうではなく雇用の原則である。
他の雇用は本来あるべきではない非正規な雇用形態なのであって、早晩是正されなければならないのである。

非正規雇用などを導入するにあたって、高齢化社会を理由にすることがあるが、これは年功序列制度との意識的な混同である。
安定雇用は高齢化が進もうが、少子化が進もうが、空洞化が進もうが一切関係ない。およそ雇用の根本原則なのである。

終身雇用制度に比べると、年功序列制度については一定の議論は避けられない。

第一に、これは雇用ではなく賃金体系の問題である。第二に、これは総賃金の枠そのものではなく、配分をめぐる問題である。第三に、これは同一労働・同一賃金の原則に従属すべきものである。

私に言わせれば、これは年功序列ではなく給与の不均等配分制度である。

私自身が常任理事として経営の立場にいただけに、給与の世界の非合理性はかなり痛感している。

議論をする上で、原則を踏まえて一つづつ片付けなければならない。ものによっては解決に長時間を要するものもあるが、だからこそ原則が必要なのである。

私は年功序列制度は、根本的には過去の遺物だろうと思う。

ひとつは、“貧しさを分かち合う”給与体系だということである。
“40代50代は色々出費も多くて大変でしょう”という人情は大事だが、それは別の形でカバーすればよい。今は生き方が多様化して、40代50代でもルンルンの人はいくらでもいる。

もう一つは、会社にとって家父長的支配の道具となりうるからである。給与総額が変わりないのにこのような傾斜をつけることにより、社員は会社の精神的奴隷となる。

そもそも年功序列制度は大規模製造業にふさわしい給与体系である。中小・零細にはそのような傾斜を付ける余裕もない。さらに営業やサービス部門では、限りなく最賃+歩合給に近いものにならざるをえない。

それでは能力給になるのであろうか。それもひとつの選択ではあろうが、日本式能力給制度がうまく行ったという話は寡聞にして聞いたことがない。

能力給は人事評価の問題に繋がらざるを得ず、絶えざる管理強化をもたらさざるをえないということになるし、評価をめぐり軋轢が強まれば人事部が泣かされることになる。

たしかに職場に1人は2人は、目障りな人物がいるものだが、基本的には職場全体のやる気を引き出すことで、包み込んでいくほかない。

これからは同一労働・同一賃金の原則をいかに具体化していくかを模索すべきだろう。まずは非正規労働者の賃金が正規労働者の半分以下という現実を何とかしなければならない。

社会保障面でのハンディを以下に軽減していくかも大きな問題だ。これは社会保障制度の存続にも関わる大問題である。

繰り返しになるかもしれないが、年功序列制度はどちらかと言えば企業側の都合で作られた制度である。かつてはそれを日本型経営と自賛していた。

それを今頃になって攻撃して、しかもそれを安定雇用制度の破壊の口実に利用するなどもっての外である。