イラクの宗派対立による死者が5月の1ヶ月だけで1045人に達した。
暗澹たる気持ちにさせられる。
結局、アメリカの虚偽にもとづく勝手な行動が招いた事態なのだが、03年のイラク侵攻というより、第一次湾岸戦争以来のアメリカの中東戦略の迷走ぶりがもたらしたものとして、もう少し長期的に見ていく必要があるだろう。
01年の9.11事件と、これに次ぐアフガン侵攻までは、善悪は別として了解可能であったが、ならず者国家論を持ちだしてイラクを叩く理由は、まったく了解不能だった。
アルカーイダにつながるようなイスラム原理主義をとっているわけでもなく、反米主義を煽っているわけでもない国がなぜ攻撃の対象となったのか。反テロリズムという大義名分に従うなら、むしろ対象はイランではなかったのか。

それは、イスラエルとそれにつながるネオコン族の情報操作によるものと考えると辻褄が合う。

米軍産複合体内部での主導権争いは未だに続いていると思われる。かつてのネオコン族の華々しい活躍は姿を消したが、イスラエルに鼻面引き回される場面は相変わらず続いている。

とすれば、シリアの内戦も、イラクの宗派対立もイスラエルの中東戦略と結びつけて考えなければならない。

60年代 エジプト、シリアが主敵。イラク、イランは混乱期
70年代 エジプトの凋落、ナセルの死、キャンプ・デービッド合意。パレスチナ・ゲリラの活発化。イラクのフセインがアラブ民族主義の盟主となる。イランはパーレビ親米王朝
80年代 レバノン“内戦”でパレスチナゲリラは壊滅。イラクのフセインが覇権を狙いイランのホメイニと争い。エジプトはサダト亡き後もムバラク親米政権となる
90年代 第一次湾岸戦争。イラクのフセインが凋落。アメリカとイスラエルの攻守同盟が強力に。その条件としてPLO自治の承認。
00年代 PLOを徹底的に叩く。エルサレム、西岸地帯への進出。イランをバックにしたハマスとヒズボラの勢力伸長。イランとシリアの連携。原油高を背景にしたフセインの復活。
10年代 エジプトにおけるイスラム政権の成立。シリアとイラクの混迷状態。イランの膨張主義と核開発。

こうなれば、イスラエルがエジプト、シリアとイラクの混迷状況の持続を求めるのは当然である。イランはアラブではないので真の脅威とはならない。

敵の敵が味方だとすれば、アル・カーイダこそイスラエルの最強の味方である。そういえばアルカーイダは奇妙なことに、あまりイスラエルを攻めないな。