去年の2月に、K.304 はタルティーニ作曲? という文章を書いた。ケッヘル304のバイオリンソナタが、タルティーニそっくりだということだった。

その時、この曲はパリ時代の作品であるから、パリでタルティーニを知って真似たのではないかと書いたのだが、たまたま交響曲第25番を聞いていて、第3楽章でまたドキッとした。またもタルティーニが顔を出したのだ。

25番はケッヘル183.出だしが映画やコマーシャルで有名なト短調で、そこばかり印象に残っていて、第3楽章なんてあったかしらというほどのものだが、これはまだパリに出る前の若書きだ。

とすると、モーツァルトはパリに行くずっと前からタルティーニを知っていたことになる。それとも、タルティーニが背後霊のごとくモーツァルトにつきまとっていたのか。

気になってネットを探してみた。日本語では、直接二人の関係について触れたものはなかったが、

ドミトリー・バディアロフさんというバイオリニストが書いたエッセイを見つけた。この人は水戸の室内管弦楽団のメンバーで、同じ楽団の鈴木秀美さんが翻訳している。

http://www.soum.co.jp/mito/music/mda3badiarov1j.html

 

以下、関係部分を転載する。

1777年10月6日にモーツァルトが父レーオポルトに宛てて書いた手紙に次の一節がある。

彼ら(タルティーニの弟子、デュブレイユと彼の一番年下の息子カール)がコンサート用とオーケストラ用のヴァイオリンについて討論し始めたとき、彼らの理由付けはとても明らかで、いつも私と同意であった…

バガテッラは、古い『バロック』から『クラシック』へと楽器を変化させた楽器作りである。1748年のクリスマスの夜、彼は規則を発見し、それが彼のメソードとなった。

…これはタルティーニとジェミニアーニがヴァイオリン奏法の教則本を出版する前であった 数年後、56年にレーオポルト・モーツァルトが教則本を出版し、同年モーツァルトが生まれた。

バガテッラはこのように書いている。

タルティーニは有名な、新しい“音のエステティック”(美学)の担い手であった。私はタルティーニの注文のために多くの楽器を変えた。およそ30年の長きに渡って、私はタルティーニと弟子たちの楽器を扱ってきた。 彼には、ヨーロッパ中のプリンスによって送られてきた数多くの弟子がいた。


これで分かることは、脱バロックの演奏法、そのための楽器の改良を行ったのはタルティーニであり、父レオポルドはその影響を強く受けていた可能性があるということである。

だから、アマデウスは出生直後よりタルティーニの音楽を刷り込まれていた可能性がある。

タルティーニの真価は緩徐楽章にあるのだから、モーツァルトにおいても短調のソナタの緩徐楽章を書くときには、思わずタルティーニ節が出てしまうことも考えられる。

ほかにもそんな曲が無いかと詮索しながら聞いていくのも、モーツァルトの一つの楽しみ方かもしれない。