我々が目指すのは「法の下での平等」であり、「契約の下での平等」ではない。契約の前提には法の下での平等は含まれていない。「人身売買」も、「ヤミ金融」も契約は契約なのである。

だから契約には、法的見地から規制が加えられなければならない。その契約が公的性格が強いものであればあるほど、規制も強力でなければならない。そうでなければ社会が崩壊してしまう。

すなわち共同体の論理は私契約の論理に対して優越的地位を持つのである。そのことを前提にして、両者が共存共栄できるようにするのが国家の政策であり、実体的には憲法を頂点とする法体系なのである。

これに対し、TPPの本質は「自由契約原理主義」にある。これはアメリカと多国籍企業の論理であり、シャイロックの「肉1ポンド」の論理そのものである。

それは、これまでのGATTやWTOの基本精神とも相容れない「強者の論理」である。(もちろん、GATTやWTOもそれなりの矛盾を抱えてはいるのだが)


貿易だけでなく法体系の包括的な国際化、とりわけ社会的生存権のグローバル化が進められなければならない。人権状況がバラバラのところに、経済や貿易だけがグローバル化すればどうなるかは火を見るより明らかだろう。

TPPはごく表面的なメリット・デメリットの議論でも有害無益なものだが、TPPを支える思想・原理の面から見ても人類社会の進むべき道を踏み外している。