関東学院大の林先生(現代史、軍隊・戦争論)が、スッキリとクールに論点を整理している。

橋下市の論理は、「慰安婦は売春婦と同じだ」というものです。このすり替えによって石原慎太郎の「軍と売春はつきもの」発言のような言い訳ができるようになります。

戦争の中で、食料など物資をたくさん持っているのは軍隊ですから、何とか生きていくために軍隊の周りに女性が集まり、性売買が行われるというのは、残念ながらいろんな戦場で起きることです。

しかしそのことと、「慰安婦」制度とは質的に違います。

「慰安婦」は慰安婦制度の一部であり、その制度を管理運営していたのは軍です。
このような制度はナチス・ドイツと日本軍にしかありません。

米軍は公式に売春を認めていません。第二次大戦中も米軍はそうした建前をとっていました。末端では建前と違う実態もありましたが…




慰安婦制度においては、女性がロジスティックスの一環として「物資」扱いされており、制度として人間性が否定されていたということが最大の問題だということになる。

「仕方がない」という素朴な感情論に対抗する論理としては、有効な論理だと思う。もちろん、売春はそれ自体が悪ということが前提ではあるが…

ただ、これだけでは何故そこまで完璧な人間性の否定が実行し得たのかという問題が解明できない。「慰安所」という現場における支配の論理が必要だろう。

やらせた側の問題とは別に、やらされた側の目線も必要だ。「慰安婦」であることを強いられた人々にとって、慰安婦とは何だったのかということの評価ももとめられる。

つまり百歩譲って売春婦が「自由業」だとしても、慰安婦は「自由業」ではないし、性的奴隷と考えなければならないということだ。

いづれにせよ軍による“強制労働”の問題は、それはそれとして本流から外してはならないだろう。(これについては2012.10.2「慰安婦問題はセックス問題ではない」を参照されたい)