松下プラズマディスプレイ社 偽装請負事件

というブログがあって、ここで丹念に裁判をフォローしてくれている。

その08年4月26日の記事(MBSニュース)

原告の吉岡力さん(33)は、人材供給会社であるパスコ社から派遣され、大阪の「松下プラズマディスプレイ」の工場で働いていました。

しかし実態は、松下の社員から直接指示を受ける「派遣」であり、違法な偽装請負でした。

吉岡さんは、会社に直接雇用するよう求めていました。
2005年には偽装請負の実態を告発し、直接雇用(契約雇用)に切り替わりました。

しかし1人だけ隔離された部屋で修理作業をさせられたうえ、半年間の契約が切れると解雇されてしまいました。

吉岡さんは不当解雇だとして、裁判を起こします。
一審は吉岡さんの訴えを退けました。

大阪高等裁判所の若林諒裁判長は、吉岡さんの訴えを全面的に認める判決を言い渡しました。

判決の骨子は

①松下とパスコ社との契約は「吉岡さんを労働者として供給する」ものであり、違法かつ無効。

②「実際の働かせ方などから」して、松下と吉岡さんとの間には当初から直接の雇用契約が成立していた。

③したがって松下には雇用責任が存する。

というものだ。

大阪高裁は、「告発の報復のために配置転換を命じた」と指摘しました。また、「解雇権も濫用している」としみとめました。
そして直接雇用による職場への復帰を命じました。(この項は朝日放送)

ここまではきわめてわかりやすい。

これが、最高裁でひっくり返されるのだが、どういう理屈で逆転するのかが分からないと、マツダ裁判が見えてこない。

同じブログの2010年01月01日付け

最高裁第2小法廷は、大阪高裁原判決を破棄し、松下PDPと吉岡力との雇用契約関係を認めなかった。ただし人権侵害行為と雇止めについて認め、慰謝料支払いを命じた。

文章は明らかに即座の判断を避け、逃げたものとなっている。だからわかりにくい。だからといって、松下側に立った“階級的”判決というわけではない。

例えば、最高裁は復職後の嫌がらせと雇い止めについて不法と認めている。

また、労働者派遣法が派遣会社と派遣先の契約を律する法規であることを強調し、①労働者派遣法が取締法規という性質を有すること、②しかしながら、他方では労働者を保護する必要性があること、を上げている。

最高裁判決を平ったく言うと

「内容的に言えばかなりやばいけど、片方には正式の雇用契約があって、松下とのあいだにはないのだから、契約が優先するのは当たり前であって、それをひっくり返すのには、それなりの根拠が必要でしょう」ということになるのではないか。

成文化された契約は二種類あって、企業間の契約と派遣会社対労働者の契約だ。大阪高裁判決は、企業間の契約に不正が存在すれば、もう一つの契約は自動的に無効となる。したがって松下と労働者のあいだの「黙示の契約」が有効となるというものだ。

最高裁は、この“自動性”を否定している。「企業間の契約が違法であっても、即、労働者との契約が無効とは限らないでしょう」、ということになる。

我々からみれば、“自動”であってもおかしくはないのだが、「やはり契約というのはそれなりの重みはあるのだ」ということだと思う。

この辺は同じ法律家同士の阿吽の呼吸みたいなものもあるのではないか。「もう一回論理を組み立てて出直して来い」ということも考えられなくはない。

もう一つは、この労働者派遣法が本来、労働者保護よりもっと前の段階、違法派遣を規制するための法律であって、もし違法があった場合に労働者をどう保護するかということは、あまり念頭に置かれていないということである。

これは法律そのものの限界とかかわる問題だ。

最高裁判決の問題点

最高裁は、松下=パスコの契約は労働者派遣法に対して明確に違法と判断した。それは2つの理由からである。

①製造業務への労働者の供給であるということ(ただしこれは、その後の法律の改正で合法化されてしまった)

②派遣の期間制限に違反していること

ただし、その違法契約によって労働者が保護を必要とされる場合、それは労働者派遣法ではなく職業安定法により規定されるということになるようだ。これは明らかに変な話で、派遣労働者が違法派遣で苦しんでいても、それを規制すべきすべき労働者派遣法に労働者保護の規定がないということになる。

最高裁はパスコ社対労働者の契約は、職業安定法に定める「労働者供給」には当たらないと判断した。(よく分からないが、きっと職業安定法というのは口入れ稼業とかタコ部屋労働の類の禁止をうたったものではないか)

であるからして、特段の事情のない限り、供給元・パスコと労働者との間の「雇用契約は有効に存在」すると判断したのである。これで黙示の雇用関係は無意味となる。

民主法律家協会の立場

民主法律家協会は、以下のごとく厳しく最高裁判決を批判している。

本判決は、派遣先・派遣元がどれだけの違法・無法を行っても、それは違法派遣として行政が取締まるかどうかの問題に過ぎないとした。

裁判所は、違法行為者の責任を追及もしないし、その違法行為によって不安定で劣悪な実態に晒される労働者を救済もしないというに等しい。

まことにもって正論である.

この他にも、民法協の声明は汲むべき示唆が多く、非常に勉強になる。とくに「黙示の労働契約論については、事例判断に過ぎないのであるから、今後も大いに主張されるべき」というあたりは、さすがという感じだ。

ただ、裁判の現場で会社側弁護人が形式論理でグイグイ押してきたら、それに打ち勝つだけの論理や心証を持ち得なかったというのが、ありていの所ではないだろうか。そんな気がしてならない。とにかく依拠すべき法律が根本的な弱点を抱えているのだから…

民法協の言葉を借りれば「言うに等しい」というのは、「同じだ」という意味ではない。「結論として同じ意味になってしまうではないか」という意味である。

確かに結論としてはそうなのだが、“違法行為者の責任の追及”と“労働者の救済”を否定しているわけではないということも見て置かなければならない。

そこで出てきたのが「特段の事情」というかぶせ方である。つまり特段の事情という「プラス・アルファの論理」を、企業間契約の違法性の上に乗っければ、「職業安定法など持ち出さずに派遣労働法1本でやれちゃうんじゃないですか」という示唆だ。

そうなると、最高裁判決は「下級審でその辺りをしっかり根拠付けてもう一度上げてこいよ」という呼びかけにも見て取れる。

とにかく時代遅れの職業安定法でやっっていたんでは間尺に合わないから、労働者派遣法をもう少し膨らませて、「派遣時代」に見合った法的整合性を形成しなければならない。

と言いつつも、「相手は企業弁護士だ。相当気合を入れないと勝てないよ」と釘を差すことも忘れない。マツダ裁判の弁護団長が「完璧だ」と豪語したのはそのへんも関係しているのではないだろうか。

こういう問題意識は感じ取れると思う。