琉球新報がスッと胸に落ちる

琉球新報の4月19日付社説が良い。スッと胸に落ちる。

政府主催とはいえ、世論が分かれる式典に出席を求めたことは大いに疑問

というのが主張だ。

まず、昭和天皇のメッセージを紹介する。「米軍による沖縄の長期占領を望む」という占領軍あてのメッセージだ。天皇自らの意志がどのくらい関わっているかは抜きにして、これがあまりにむごい「裏切り」であることは、誰にでもわかる。

沖縄県民にとって「屈辱の日」とされるのもむべなるかな、である。

つぎに、昭和天皇と今上天皇を分けて考えている。

1 今の天皇陛下は「政治的な関与をされているとは思わない。非常にいい形で、象徴としての役割をされている」…との見方は、国民の多くもうなずける。

2 ことしの「歌会始の儀」でも万座毛、恩納岳を詠んだ。沖縄に意を用いていることは過去の会見からもうかがえる。

3 70歳の会見で天皇陛下は「沖縄の歴史をひもとくことは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした」「沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければと努めてきた」と振り返った。

4 昨年12月の会見でも「沖縄はいろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています」と述べている。

と、これでもか、これでもかと実証を積み上げていく。

そして、

沖縄の「苦労」に理解を示す天皇陛下に、沖縄が反発する「主権回復の日」式典への出席を求めるのは、天皇陛下自身の意にも反するのではないか。

と、殺し文句。

見事に決まった背負投げという感じだ。ただ、昭和天皇悪い人、今上天皇良い人と截然と分ける論法は、沖縄の人の心なのだろうか? という思いは残る。


東京新聞「こちら特報部」4月5日でも、ほぼ同様の内容が更に詳しく記載されている。(かなり読みでがあるので直接あたってください。元記事はすでに消失していますが、こちらに転載されています)

「沖縄タイムス」も同じ論調だ。「北海道新聞」は千島列島が放棄されたことも、指摘している。