志位さんが声明を発表後、記者団の質問に答えて注目すべき発言を行なっている。
安倍政権にとって、ビビるような中身だ。

A.「国事行為」はすべて内閣の助言と承認によって行われるので、天皇はこれを拒否することはできません。

B.いっぽう、国民の間で明確に意見がわかれるような場合は、「国事行為」とはみなされないし、天皇の出席を求めることも認められません。

ということで、天皇の出席を二つの条件のもとで可能と考えるのである。
すなわちひとつは、国事行為、あるいはそれに準じる国民の一致して支持しうる公的行為。
そしてもうひとつの条件は、内閣が承認し、その助言のもとに行われる行為ということである。

この二つの条件が満たされない場合(今回の場合、国事行為としての要件を客観的には満たしていない可能性が高い)
こういう場合、天皇側としてはどういう立場をとるべきだろうか。というのが問題の一つ。

もう一つは、その応用問題となるのだが、どういう立場をとることが可能なのかという問題である。

2.26事件のように、「速やかに各所属部隊の隷下に復帰せしむべし」の奉勅はさすがに出せるものではないが、反乱軍に担がれるようなマネはしなくても済むはずだ。

ちょっと難しいが、志位さんの発言をそのまま引用する。

仮に天皇の側が、「式典に参加しない」という判断をした場合には、
1 憲法第4条の「国政に関する権能を有しない」、
2 憲法第1条の「国民主権にもとづく「国民統合の象徴」、
3 憲法99条に規定されている天皇の憲法遵守義務
にかなった判断として、当然の判断ということになります。


つまり、欠席することも(例えば体調不良を理由に)、あるは公然と出席を拒否することも憲法上可能であり、根拠がある、ということだ。

難しいのは、出席しないということも、それ自体が国政に係る判断だということである。「国事」ではないという判断が前提になるからである。

しかし、いかなる国事行為も常にそうなのだ。原理的にはそのつど、判断がなされていることになる。積み重ねが国事行為の枠組みを決めていく。
そしてその判断の積み重ねが「国民統合の象徴」としての天皇の権威を強めることになる。

以前、小沢一郎筋から習近平(当時副主席)との会談を強要されたことがあった。あの時は「天皇の政治利用だ」と自民党が猛反対した。今回の出席問題もその重要なスポットとなるだろう。

それにしても、このような党利党略がらみの問題で陛下にご迷惑をお掛けするのは、臣民として不徳の極みではないだろうか。
むかし議会で陛下に尻を見せてはいけないと、後ずさりで会談を降りるのだが、何分にも高齢の故、それができなかった参院議長が、それを理由に辞職した話があった。この伝でいけば、安倍首相は二度目の辞任を考えるべきだろう。