「主権回復の日」式典が天皇の出席をめぐり大変な問題になっている。

一つは、「天皇も出席するのだから」といって各県知事に列席を促しているようだ。
岩手県知事は、式典そのものに色々な思いはあるのだが、天皇陛下が出席される式典を、欠席するわけには行かないと言っている。たしかに保守は知事としてはもっともなことだ。
しかし、それにもかかわらず、全国の知事の半数以上が欠席ないし代理出席の意向を表明している。
これは大変な驚きだ。「そんなことしちゃっていいのか?」とオールド左翼としては老婆心ながら心配である。


もちろん内閣が決めたら、天皇は従うほかない。それが「現在」の憲法である。
しかし、これまでの言動から見て平成天皇がこれに賛同しているとは思えない。何よりも4月28日を「屈辱の日」とする沖縄の県民の意思は重いのである。

昭和天皇は、終戦の可能性も生じていた昭和20年はじめ、みずからの意志で沖縄決戦を決断した。終戦に至る過程と天皇の関与についてはまだ結論が定まったとはいえないところもあるが、沖縄開戦に天皇が大きな影響を与えたことは確実である。
これは昭和天皇にとっても、今生天皇にとってもトラウマとなっていることは間違いない。少なくとも「祝おう」という気分にはなれないだろう。

4月28日はサンフランシスコ条約の調印日でもあるが、沖縄決戦が熾烈化し、鉄の雨が降理注いだ時期でもある。我々の学生時代は「4.28」は沖縄デーだった。

沖縄県は48分の1ではない。ただ一つ、「醜の御楯」となり、日本を代表して苦難の道を歩んできた県である。

沖縄の心を無視し、あまつさえ「大御心」を慮ることなく、党派的野心で突っ走るのなら、それは昔の軍部と同じではないか。


自民党のゴリ押しにもかかわらず、多くの県知事が事実上のボイコットを決意するには、やはり、過ぐる大戦における「義」に背くことはできないという引っ掛かりがあるのではないだろうか。

それは安倍内閣の若造どもが、天皇を政治的に利用することへのルサンチマンもあると思う。
日本の伝統的保守層に深い亀裂が入りつつある。これはバリバリの活断層だ。