結構手厳しい意見があって、どう反論したら良いのか悩んでいる。

意見の骨子

食料安全保障の立場から、関税率を1000%に引き上げて、国内産業を保護育成したとして、それが本当に自給率の向上と呼べるものなのか。
それは「自給幻想」にすぎないのではないか。

国土保全と環境維持(例えば里山とか、棚田とか)のためのコストとして負担を受容するのは良いが、はたしてコスト計算はされているのか。過剰投資はないのか。

栽培作物の見直しは必要だろう。食料安保と国土保全が二本柱だとすれば、それに見合った作物は保護されるべきだ。それ以外のたとえばビートやこんにゃくはそれなりの扱いとなるのではないか。

私の反論

要は既存農業の維持のための理屈でなく、食料安保や国土保全の基本線を明確にし、その中にあらためて農業を位置づけ直すべきではないか。それについては認識は共通していると思う。

率直に言えば、日本農業は高齢化と後継者不足により自壊しつつある。だから本来から言えば、自由化反対というより先に、これからの日本にふさわしい農業再生策を、全国民が支持する形で打ち出さなければいけない。

食料安保と国土保全は基本だが、食の安全確保が農業保護のもう一つの柱だ。これはいくら非関税障壁と言われようと、安全を守るために必要な基準を守るべきだ。かさ上げしてもよいと思う。

かつての公害とその後の対応技術の向上のように、それは日本の「国際競争力」となるはずだ。

真の農業「自由化」とは

真の農業「自由化」とは、市場原理も受け入れつつ、日本農業が自主的に自立することだ。

いま一番問題なのは、農業の自立政策ではなく農業の放棄だということ、それがアメリカの輸入自由化圧力に屈した形で行われようとしていることだ。「自由化」はアメリカにとっての自由化でしかない。

だから、自由化してもアメリカからの輸入が増えるだけというひどく歪んだ形で導入される危険か大きい。これはダメなのではないか。

翻って、アジア諸国との関係を今後緊密にして行きたいと考える発想からは、役割分担も必要になってくるだろうし、国として一定の妥協も必要になるだろうと思う。

そこには住み分けというか共存・共栄の道はあると思う。一つは食文化としてのユニット化や高級食料品への特化であり、ひとつは安全性の押し出しである。

日本農業をめぐる二つの道

農産物自由化については、原理主義的にイエスかノーかを突きつけるべきではない。

対米従属を深めるような自由化か、アジアの諸国に向かって開かれた「共存・共栄の道」かという二つの道の選択として捉えるべきではないだろうか。

そしてその際は、たんなる既存農業の保護ではなく、食料安保、国土保全、食の安全確保という三つのポイントを起点にして、知恵を絞るべきではないだろうか。

以上を前提にした上で、農業保護を「原理主義」と批判する側の「市場開放」至上主義については、きっぱりと拒否したい。