大虐殺作戦のあらまし

すでに3月から大虐殺事件が始まっていたにせよ、そのピークは4月6日の事件以後のことです。

4月5日、タンザニアで東アフリカ各国首脳の会談が行われました。会議を終えたルワンダの大統領は政府専用機でルワンダに戻りました。飛行機が着陸しようと高度を下げた時、突然地対空ミサイルが発射され、飛行機は撃墜されました。大統領は即死しました。あらゆる状況から見て、フツ人過激派組織による犯行であることは疑いの余地がありません。

過激派の放送局は、「ベルギーの平和維持軍が撃墜した」とのキャンペーンを開始しました。そして翌日には首相も殺害します。この時、首相の警護にあたっていた国連PKOのベルギー軍部隊の10名も襲われ、拷問の末虐殺されます。

それから先は無政府状態となり、過激派による政敵虐殺が相次ぎました。民兵部隊は大虐殺作戦を一気に展開しました。9日にはギコンド多数の児童が教会に集められ、国連監視団の面前で虐殺されました。15日には東部の町ニャルブイエでツチや穏健派フツ2万人が境界に集められた後、虐殺されました。虐殺にはカトリック教会司祭も関与したといわれます。

こうして政府軍、民兵組織(インテラハムウェ)と暴徒化したフツ民間人が、ツチと穏健派フツに対するジェノサイドを展開。4月だけで少なくとも20万人以上の犠牲者を出しました。国連の平和維持軍本部さえも攻撃の対象となります。

なお、「蒙昧無知な一般の住民がラジオの煽動によってマチェーテやクワなどで隣人のツチを虐殺した」というイメージは不適切です。「国家権力側による非常に周到な準備が行われ、前半6週間に犠牲者の80%が殺害されるという、極めて高い効率で虐殺が行われていることは明らかだ」と、ウィキペディアは主張しています。