大虐殺への序曲

フツ人の憎悪に火をつけたのはまたしてもブルンディでした。93年にツチ人の軍部が民族和解を打ち出し、フツ人を首班とする政権が誕生しました。しかし93年10月、その政府を軍内強硬派がぶち壊し、ふたたびツチ人支配体制を復活させたのです。

これに抗議するフツ人との間で凄惨な殺し合いが始まりました。約3万人のツチ、約2万人のフツが殺されました。30万人のフツが国境を越え、ルワンダへ逃げ出しました。逃げ出しただけならいいのですが、避難先のルワンダで、今度は反ツチ感情を煽る役を果たしたのです。

共和国防衛同盟は彼らを利用し、民兵組織「インテラハムウェ」を作り上げます。民兵の数は3万人に達しました。そして組織的なツチ抹殺のシナリオを実行に移し始めます。

彼らに武器を与えたのはフランスとベルギーでした。どのくらいそれぞれの政府の中枢部が事態を理解していたかは定かではありません。しかし4000万トンの小火器がベルギー経由でポーランドからルワンダへ流れ込んだこと、それを止めようとする動きがなかったことは間違いないようです。彼らはRPFをアメリカの尖兵と考えていました。そしてアメリカに対抗して旧植民地の既得権益を守ることを最優先に考えていました。

CIAはそれらのすべてを知っていました。そして94年はじめには「最悪のシナリオだと50万人が死ぬ」と予測しています。もちろんクリントン大統領も知っていたはずです。

94年3月、大虐殺作戦が始まりました。キガリ南方のブゲセラでラジオに扇動されたフツ人がツチ数百人を虐殺します。そして大統領殺害事件へとつながっていくのです。