ルワンダ愛国戦線(RPF)の結成

ルワンダを逃れたツチ人が向かったのはウガンダでした。しかしそこでは難民キャンプに押し込められ、自由な活動はできなかったのです。

当時ウガンダを支配していたのは、イディ・アミンという将軍でした。アミンという人物は我々の世代にはちょっと名の通った「奇人・変人」でした。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシング、ヘビー級チャンピオンという経歴の持ち主。イギリス軍のコックから成り上がり、クーデターで左派政権を打倒した後、国民30万人を虐殺したと言われます。「黒いヒトラー」、「アフリカで最も血にまみれた独裁者」、「人食い大統領」などの異名を頂いています。

79年になるとアミン独裁政権はムセベニの率いる「国民抵抗運動」により打倒されてしまいます。実はこのムセベニの部隊にかなり多くのツチ人が参加していました。ツチなくして勝利はなかったくらいの活躍でした。それは同じ時期に闘われたレバノン内戦でのパレスチナ人の活躍を思い起こさせます。

ポール・カガメもその一人で、彼は物心ついた頃からの難民キャンプ育ちです。ムセベニのウガンダ民族解放軍(UNLA)で頭角を現し、ムセベニの片腕と呼ばれるほどの地位まで上り詰めます。しかし所詮は外人部隊であり、アミン追放後はだんだん厄介者扱いされるようになります。

やはり祖国に帰るほかない、と思い始めるのも当然でしょう。彼らは80年に創設された国家統一ルワンダ人同盟を母体にゲリラ部隊「ルワンダ愛国戦線」 (RPF)を結成します。87年のことです。RPFは装備にあたりアメリカの援助を求めました。これは相当思い切った決断です。ルワンダは旧ベルギー領ですが、実質的な宗主国はフランスです。いっぽう亡命先のウガンダはイギリス領ということで、アメリカとは何の関係もありません。

カガメアメリカにわたり、陸軍指揮幕僚大学で軍事訓練を受けました。そして内戦が始まると、RPF最高司令官として戦闘の指揮をとるようになります。