この間の出来事を、世界史の流れの中に位置づけてみれば、我々は今大きな変革期の中にあることがわかる。

20世紀は、戦争の世紀だった。前半には二つの大戦があった。後半は冷戦の時代が続いた。人々は熱核戦争の恐怖に怯え続けた。

経済的には資本主義的帝国主義の支配の網の目が世界の隅々まで行き渡った。人々は労働も文化もふくめ、生活のすべてを資本の支配のもとに送らざるを得なくなった。

これが、20年前にアメリカが世界の覇者となり、10年前に西暦2千年という節目を迎えた時点での、人類の大状況だった。

それが今では、みんなが思い始めている。

平和、安全、生活第一、公正、公平、民主主義、資源。これらが人類の共通の価値観なのだと。

これらの価値観の変化は、十数年前にはなかったものだ。どうしてこのような変化が起きたのだろう。

1.原発なき社会への巨大な前進

2年前には夢だった「原発なき」社会が、いま目の前にあって、私たちはそのなかで暮らしている。「核への封印」が第一歩を踏み出した。しかもこの一歩は中途半端に後戻りできない重みを持つ歩みとなっている。

2.国民の福祉と経済成長

「国民の暮らしを豊かにすることなくして、経済成長はありえない」という主張が、国際的にも国内でも共通の認識となりつつある。

80年代、90年代に構造改革の旗振りしていたIMFも、労働問題の解決なしに経済再建はありえないことを認めるようになっている。

そうは言ってもまだまだ一般論レベルにとどまっているが、「国際競争力」を唱え人件費コストの切り下げに狂奔してきた人たちの論理が説得力を失ってきていることは間違いない。

3.投機資本に対する規制の強化

金持ちと投機資本の好きなようにさせておいては経済は駄目になる。しかも実体経済と遊離した投機マネーは、いまやアメリカとドイツ、日本の三大国以外は、単独で打ち勝つことができないほどの力を持っている。

しかも投機に失敗した場合の経済的影響も世界を破滅に追い込むほどに甚大なものとなっている。

これまで投機資本の推進役だったアメリカも、リーマン・ショック後はさすがに自体の深刻さに気づいてきた。

これまで野放図だった投機資本に規制をかけようという動きが広がっている。一つは欧州諸国における金融取引税の導入であり、もうひとつは自己勘定取引をターゲットとするアメリカのボルカー・ルールだ。

さらに連鎖倒産と金融恐慌を防ぐためのBIS規制も強化されているが、今のところ、その実効性には疑問符がつく。


4.富裕税の創設と税金逃れへの追及

金持ちに応分の負担をさせるべきだという声が、世界で主流になりつつある。

アメリカでは、富裕層から「私も応分の負担をしたい」という提案があり、その直後にオキュパイ運動が一気に広がった。オバマは富裕税を全面に押し出して選挙で勝利した。

ヨーロッパでも所得税率の引き上げや、富裕税の創設が検討され始めた。さらに経営者へのボーナス制限が広がっている。

またイギリスでのスターバックスやグーグルの税金逃れをきっかけにして、タックスヘイブンなどの抜け穴に対する規制も模索され始めた。

これらはいずれも端緒的なものだが、弱肉強食の論理を世界のルールとして認める訳にはいかないという国際世論が着実に高まっていることの反映としてみておく必要があるだろう。

5.途上国の経済成長が再開した

20世紀の後半、とくに最後の20年間に途上国はひどい目にあった。

一次産品中心の輸出志向型経済をとった国では、激しい競争の中で国際価格の下落が直撃した。

輸出促進のための設備投資はそのまま債務となり、国民生活を圧迫した。多国籍企業の餌食となった途上国は、今度は国際金融機関の餌食となった。

これが、「失われた10年」であり、「絶望の10年」であった。

今日、多くの途上国は債務奴隷の地位を脱却し、ふたたび成長を始めている。これには一次産品価格の高騰も関連しているが、各国政府の自制的な対応が大きく関与している。

これを反映して当初のG5はG8となり、G20へと拡大した。途上国の発言力は強化されつつある(その全てではないが)。

かつて独裁権力のように振舞ったIMFは、いまやその存続を危ぶまれる程に低迷している。