97年の消費税不況、ビッグバン不況のもとで、企業は一斉に人件費コストの削減に乗り出した。
正規社員を減らして、臨時やパートで穴埋めしながら、安売り競争とシェア確保に狂奔した。
この、「品質ではなく価格で勝負」という路線は短期には必要悪とみなされる可能性もあるが、長期に続けてはならない路線である。
何よりも企業の競争力そのものが弱体化する。

ところが、この「合理化」競争のあいだに企業の精神が変質したようだ。
円高の中で「国際競争力」の維持が、品質の競争力アップではなく、低コスト競争による価格競争力の維持という方向にネジ曲がってしまった。

労働集約型業種の海外移転はやむをえないとしても、研究開発の本丸まで海外移転させてしまった。日本全体のブランド力と、真の競争力を犠牲にすることも平然と行われるようになった。

人斬り合理化によるコスト削減が日本企業の風土となってしまった。まじめに働いている人の首筋に刃を突付けるようなことを長年続けてきた。
人件費削減が自己目的化され、労働ビッグバンの大波が荒れ狂った。

そして気がついてみれば、何も残っていなかった。「我が亡き後に洪水来たれ」というが、生きているうちに洪水が来てしまった。

いまや韓国に追いぬかれ、中国にすら追いつかれようとしている。

それなのに、指導者はこのジリ貧路線を反省しようとしない。それどころか、さらに凶暴な形で推し進めようとしている。

規制改革会議
の言わんとする所は、つまるところ“正社員なんてものはなくしてしまえ”ということだ。

安倍首相は言う。

世界で一番企業が活動しやすい国を目指す。そのために、正社員と非正規社員といった両極端な働き方のモデルを見直す。

言葉尻を捕らえるようだが、今後は正社員というのは“極端な”、例外的な存在になるということだ。それは赤旗も指摘するとおり、相当“極端な”考えだ。

この国の政財界の指導者たちは、もはや正気を失っている。社員のクビを切ることが苦しみではなく快感となっている。少なくとも、クビを切ることに何のためらいもなくなっている。

もしそうやって首切り自由、国民総非正規化を推進すれば、その先に何が待ち構えているか、それはこの15年の動きを振り返れば自ずから明らかではないだろうか。