1.市場は均衡のあり方の一つにすぎない

一般均衡理論といっても、私ごとき素人に分かるわけはない。ここで均衡理論というのは、需要と供給の二つの曲線が真ん中で交わるあの絵のことだ。

二つの関係は左右に振れても、最終的には交点付近で均衡を保つことになる。

注意しなければならないのは、「それは経済が持つ一般的傾向のことであり、それ自体が市場の機能ではない」ということだ。生産と消費の仕組み全体が、均衡を保とうとすることだ。

2.均衡モデルは「直進」モデルだ

もうひとつ付け加えておきたいことは、均衡論というのは静止局面での評価であり、時間軸を加えた動態的評価ではないということである。

もし時間軸上にこのモデルを置くとすれば、それは「直進性モデル」ということになる。

自転車の重大な発明は、前輪の車軸を僅かに前にずらすことにより、直進性を実現したことにある。

これにより多少のブレはあっても、それは自動的に復元され、高い直進能力を獲得した。(もちろんハンドルを用いる直進能力に比べればはるかに劣るのであるが)

3.市場機能の誤った評価

市場の機能はすべての商品に価格をもたせ、貨幣によって相対化することである。それ自体は需給関係を、素早く交点まで持っていく上できわめて有用な手段である。

しかし、経済の均衡=直進性を維持するものとして市場を位置づけ、絶対不可欠なものと主張することは、“市場原理主義”の主張でしかない。それどころか市場に対する誤ったイメージを押し付けるものだ。

第一に、市場がなくても需要と供給のバランスをとることは可能であり(非効率であるが)、第二に、市場に代わり、より有効なバランサーを発見することは“制御工学”的には可能である(ソ連型の“社会主義計画経済”はそうではなかったが)。

4.市場の本質は欲望の方向付け

ついで問題となるのが、市場というものの本当の働きだ。確かに市場はすべてのものを商品として相対化し、適正な値付けを行う働きもあって、現象的にはそう定義しても良いのだが、より本質的な定義としては「欲望の方向付け」にあるのではないか。

これは、自転車のハンドルからの類推になるのだが、何故人は市場に集まるのかということを考えて見れば、そういう見方が出てきても不思議はないだろう。

市場では売手と買手が相対するわけだが、彼らは物質的欲望を満たしたいという思いにおいて共通している。そういう意味ではベクトルは同じだ。

それが売り買いという行為を通じて、ひとつの流れとなって、経済のストリームの発信源となっていく。そういう結節点の位置に市場というものは置かれている。

欲望の組織化と方向付けというところに、市場の本質があるのではないだろうか。そして需要と供給は、その方向に追随しながらバランスを取っていくのではないだろうか。

5.需要と供給は本質的に非対称

私はどうも需給曲線が経済のダイナミックスを規定する根本原理とは思えない。理由は二つあって、一つは需要と供給は本質的に非対称ではないかということである。

需要は人間にとって本質的なものであり、供給は諸条件に規定された相対的なものである。もちろん需要も供給のための諸条件の一つではあるが、決定的な条件ではないと思う。したがってこの二つを同一平面上に乗せて、その関係を云々するのは適切ではないと思う。

付け加えるなら(あまり本質的ではないが)、貨幣を介在させる限り買い手は売り手に対して相対的に優位にあるのであり、対称性はない。ある意味でこの非対称性こそが競争を産み、市場を活気づけるのではないか。

さらに付け加えるなら、労働市場という商品市場と対極にある市場である。この市場は、ほとんど需要と供給の均衡関係が実現されたことがない。ほぼ一方的に買い手(雇用者)側が支配する市場である。

労働者の側は、雇用者に対抗するために市場を用いることは不可能であり、学歴・ライセンス、何もなければ労働闘争あるいは訴訟という経済外的手段に頼らざるをえない。

6.需要も供給もパラメーターにすぎない

もう一つの理由は、需要も供給も中間項であり、より本質的なもののパラメーターに過ぎないのではないかという疑問である。

ここで労働価値説を持ち出すつもりはない。労働価値説は古典経済学の真髄であり、これを否定するのは馬鹿げたことである。しかし価値論の出番はここではない。

私の言いたいのは、一方における物質の生産と消費、他方における欲望の充足と創出である。

7.文化の形成過程を挿入しなければならない

これは物質が生産され、それが消費者にわたり消費され、物質的消費は欲望の充足となり、欲望の充足が新たな欲望を生む、それが一つの“文化”として新たな生産を刺激する、というふうに連結してメビウスの環を形成する。

このメビウスの環は本質的に前進的である。というのは人間の欲望には限りがないからである。「豊かな人間は豊かな欠乏感を持っている」のである。

この連環が経済を前に進ませる駆動力となり、ひいては生産と消費の新たなバランスを生み出す。需要と供給というのはこの大きな均衡系の中の一部を表現するにすぎないのである。

これが自転車論から引き出した、私の当面の感想である。