ポラニーの年表に1900年ころのブタペストの写真を貼り付けたが、
それは、ハンガリーについての認識を新たにさせるものだった。
オーストリアの圧制のもとに苦しんでいる国と思っていたが、
むしろオーストリアとタイを張るくらいの勢いで栄えていたことがわかる。
オーストリア・ハンガリー両帝国の名はダテではなかった。
第一次大戦のきっかけが、セルビア人によるオーストリア皇太子襲撃事件だというのを世界史の授業で習った。
セルビア人はオーストリアの収奪の対象だったのだろう。
それとハンガリーを混同していたのかもしれない。
そこがハンガリーの頂点だった。
第一次大戦で敗れてからはいいことなしだ。
ロシア軍に国土を蹂躙され、その国土の半分を周辺国に割譲させられた。
国王の追放、労働者コミューン成立のあと、右派との間で内戦状態に陥った。
そして最後にルーマニア軍に首都を制圧されるという屈辱を味わった。
ハンガリーの隆盛を担った多くの知識人が亡命を余儀なくされた。

今日我々は多くのハンガリー出身者の名を知っている。その大部分がこの時代の人達だ。
これまで、ハンガリーは出稼ぎ者の多い貧しい国だと思っていたが、
見方を変える必要があるようだ。