2013.3.28 

カール・ポラニー年表

ポラニーという人が有名らしい。基本的には経済学者だが、いろいろな側面があって社会哲学者というレッテルが一番合っているらしい。

世界中にかなりの信者がいるようで、ポラニー学会という国際学会もあるようだ。

いまさらこの歳で原著に当たる気もせず、とりあえずネットで当たれる解説を読んでおくことにする。

ルソーと同じで、この手の人物は年表形式で整理していくのが一番良い。

ウィキペディアであたったら、ポラーニ・カーロイ年譜というものがあったので、そこから出発することにする。(なおこの年譜は一日一冊さんという方の作成されたものである。記して感謝する)

1ポイント小さな字は、私が付け加えたものである。

 http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/4/5/45c34336.jpg

1900年ころのブダペスト市街

1886年 ウィーンでポラチェク家の6人中3番目の子供として生まれる。父ポラチェク・ミハーイはユダヤ系ハンガリー人で鉄道建設技師であった。母親はリトアニア出身の宝石細工の見習い職人であった。

1891年 ポラニー一家がブダベストに移住。

1867年にハンガリー王国の自治権が拡大され、オーストリア=ハンガリー帝国が成立した。ハンガリーでは資本主義が勃興し、民族主義が高揚した。首都ブダペストは地下鉄が整備されるなどヨーロッパ有数の近代都市としての装いを調え、繁栄した。(ウィキペディアより)

1899年 父の経営する鉄道建設会社が倒産。以後、奨学金で学業を続ける。

1900年 兄のアドルフが組織した「社会主義者学生機構」に加わる。母の知人のロシア革命家サミュエル・クラチュコに大きな影響を受ける。

1904年 ユダヤ人のマジャール化に従い、名前をハンガリー風のポラニー(Polányi)に改める。

1904年 ブダペスト大学の国家学-法学部に入学。

大学では法哲学者ピクレル・ジュラの薫陶を受けた。ジュラはウィーンのエルンスト・マッハと親交があり、マッハをハンガリーに紹介した。進歩的教授として極右学生団体の攻撃の的となっていた。

1905年 父の死去。これを機にうつ状態となる。

1907年 後学期をウィーン大学法学部で過ごす。

1908年 心理学と哲学のセミナーを開き、エルンスト・マッハの『感覚の分析』を分析・精読する。

セミナーといっても学生の自主的な勉強会であろう。取り上げた話題としてはアヴェナリウス、オストヴァルト、ポアンカレ、W・ジェイムズ、マルクス、ゾンバルト、フロイトなどの名が並んでいる。

1908年 進歩派のビクレル教授を右翼組織から守るため、マッハの学習会メンバーにより学生を組織、闘争に立ち上がる。

1908年 闘争の中で中核組織となるガリレイ・サークルを結成。みずから議長に収まる。

1908年 ポラニー、ブダペスト大学を放校処分となる。トランシルバニアのコロスヴァール大学に転籍し学位を取得。

1909年 ポラニー、社会科学協会の機関紙に「我々のイデオロギーの危機」を発表。

1910年 ガリレイ・サークルの議長を辞任。その後、労働者教育委員会の指導にあたる。約2千人のメンバーが、数万人の労働者を相手に講義やセミナーを開催。機関紙「自由思想」ではアインシュタイン、マッハ、フロイト、マルクスなどの理論を普及させる。

1910年 ルカーチの評論集「魂と形式」が発表される。ルカーチは青年知識人の先頭に立つ。

1911年 さまざまな青年知識人サークルで講演を行なうようになる。

1912年 ヘーゲル、マルクス、ピクレルの歴史哲学についてのセミナーを主催する。

1913年 雑誌「自由思想」を発刊、編集に携わる。

1913年 フリーメイソンへ入会。フリーメイソンは労働者教育を財政的に支援した。

1914年 ハンガリー市民急進党の結成に参加する。結成大会で書記の一人となる。この党はフェビアン主義を基調とし、普選の実現、土地の再分配、自由貿易、教育改革などを掲げていた。

1914年 第一次世界大戦が始まる。

1915年 ルカーチ、「日曜サークル」を組織。カール・マンハイムらが参加。

1915年 ハンガリー軍に志願し、騎兵将校として前線におもむく。

1917年 前線で負傷し帰還後に除隊となる。

1917年 イロナ・ドゥチンスカ、反戦活動を行い逮捕される。

1918年 ブダペスト人民委員会の法務委員会の委員に選出される。

1918年 「我々の世代の使命」を発表。戦争の原因と責任を問う。

1918年 第一次世界大戦に敗北。ハンガリー民主共和国が二重帝国から独立。

1919年 大学で講演。プロレタリアート独裁の時代錯誤を批判する。

1919年3月 ハンガリー共産党が革命を起こし、ハンガリー・ソビエト共和国が成立。8月には崩壊する。

1919年5月 ポラーニ、オーストリアへ密入国。戦傷の外科手術を受ける。このあとウィーンでの療養所生活が始まる。療養中に社会科学の研究に没頭。

1919年 イロナ、ハンガリー共産党からウィーンに派遣され、保養所の看護師として病人や負傷者の看護に当たる。一方で、ウィーン工科大学で機械学の講義を受けていた。

1920年 ハンガリー王国の成立。国王候補が定まらなかったため、ホルティが摂政として支配する。

1920年 フォン・ミーゼスの「社会主義共同体における経済計算」が発表される。社会主義経済では「市場」がないため、需要と供給の均衡が定まることがない。したがって、資源配分が恣意的になり破綻する、というもの。これを機に「社会主義経済計算論争」が始まる。

1921年 ウィーン・ハンガリー新聞の編集に携わる。

1922年 ポラニー、「社会主義経済計算」を発表。フォン・ミーゼスの「社会主義共同体における経済計算」(1920)に反論。ワルラスの提唱した一般均衡理論に基づき、非市場的な経済は可能と主張。

1922年 イロナ・ドゥチンスカ、ハンガリー共産党を除名される。

1923年 ポラニーとイロナ・ドゥチンスカが結婚。

1924年 週刊誌「オーストリア国民経済」に、国際関係と外交問題の専門家として迎えられる。

1933年 ヒットラーがドイツ首相に就任。ハンガリーはナチと結びつく。

1933年 「オーストリア国民経済」の職を失い、イギリスへ移住する。王立国際情勢研究所で非常勤の研究者となる。娘のカリを呼び寄せる。

1934年 ウィーンに残ったイロナ、労働者蜂起に参加。その後、現地で非合法のラジオ放送を組織。

1934年 英国各地で精力的に講演する一方、「オーストリア国民経済」の海外編集長として時事評論を寄稿。ファシズムに警鐘を鳴らす。

1935年 ジョン・ルイス(イギリス共産党指導者)およびドナルド・K・キッチンとともに研究論集『キリスト教と社会革命』が出版される。

1936年 ウィーンで反ナチの地下活動に携わっていたイロナが、病に倒れ戦線を離脱。イギリスにわたりポラニー、娘と同居。

1936年 アメリカ講演旅行を行なう。

1937年 ロンドン大学とオックスフォード大学の支援で労働者教育協会が発足。ポラニーも労働者教育運動に参加する。

1939年 第二次世界大戦が始まる。

1940年 イギリスの市民権を得る。カーロイ・ポラーニをカール・ポラーニと改める。

1940年 ロックフェラー財団の奨学金を得て、2年間にわたり渡米。ベニントン・カレッジ(ヴァーモント州)で「客員講師」として働く。

1941年 ロックフェラー財団奨学金を得て、『大転換』の執筆に着手。

1943年 2年の任期を終え、妻とともにイギリスに戻る。

1944年 カーロイ・ミハーイの率いる英国ハンガリー評議会に独立メンバーとして参加する。

1944年 単独講和に乗り出したハンガリーのホルティ政権が、親ナチ派のクーデターで倒される。

1944年 ニューヨークで『大転換』の初版が出版される。

市場社会: 市場経済は、市場価格によってのみ統制される自己調節機能に基づいて社会を作り替えようとする。それはユートピア的な擬制である。
社会統合: 市場経済は、本来は商品ではない労働(人間)、土地(自然)、貨幣を商品化し、人間の生活を破壊する。
市場経済の歴史: 市場を規制する政策や運動は市場経済の自己調整システムに対する社会の自己防衛である。
市場経済の崩壊: ファシズム、社会主義、ニュー・ディールは、すべて市場経済から社会を防衛するための活動である。そして市場社会の崩壊後には複合社会が到来する。
複合社会の具体的な経済体制については詳細に述べられていない(ウィキペディアより)

1945年 ブダペストが、ソ連軍の手により陥落。

1946年 ブダペスト大学での連続講義を試みるが、入国許可がおりず水泡に帰した。

1947年 トルーマン、一般教書演説でトルーマンドクトリンを宣言。冷戦時代が開始する。

1947年 コロンビア大学の教職を得る。アメリカ政府は、妻イロナの共産主義者としての過去を理由にビザの発給を拒否。カナダのピッカーリングに居を構えた。

1948年 コロンビア大学の社会科学調査委員会、「経済的諸制度の起源」についての研究計画を受け入れる。

1957年 アレンスバーグ、ピアソンとの共同編集による研究論集『古代帝国における交易と市場』が出版される。

1957年 「人間の経済(Liblihood)」執筆中に癌となる。原稿は未完成のまま残され、死後ピアソンの編集により出版される。

1960年 ハンガリーを訪れる。

1963年 妻との共同編集による詩文集『鋤とペン』が出版される。

1964年 永眠。


若森みどりさんの解説書「カール・ポランニー: 市場社会・民主主義・人間の自由」がグーグル・ブックスで読める。しかしもう少し読みやすい画面にんらないものでしょうかね。これでもハンガリー革命中の行動はよく分からない。

要領よくまとめてくれているのが「(読書ノート)ポラニー『大転換』をどう読み取るか」というPDFファイルである。筆者の高田太久吉さんのページには勉強になるファイルが満載である。