龍山文化

ここまで調べてくると、どうもこの龍山文化というのがクセモノだということがわかる。

「河南龍山文化は黄河中流に存在した仰韶文化に続いて登場している」というふうに、仰韶文化との連続性が指摘されているがどうであろうか。

これまで読んだ印象としてはむしろ二里頭(夏)文明との連続性のほうが強調されるべきではないかと思う。


とりあえず、ウィキペディアから

場所は 華北の黄河中流から下流。この文化は中原龍山文化と山東龍山文化に分かれ、このうち中原龍山文化は、さらに河南龍山文化と陝西龍山文化に亜区分される。

時代は 元前3000年頃-紀元前2000年にわたる。これは紀元前3000年から紀元前2600年ごろの前期と、紀元前2600年ごろから紀元前2000年ごろの後期に分けられる。

龍山文化のいわれは山東省東部の龍山鎮に遺跡が出土したことによる。

龍山文化の特徴は、高温で焼いた灰陶・黒陶を中心にした陶器の技術の高さにある。これについては、長江付近の文化の影響を受けた可能性もあるとされる。

龍山文化の社会に現れた大きな変化は、柱や壁を建てた家屋からなる都市の出現である。また土を突き固めた城壁が出土している。

龍山文化の後期には青銅器も出現しており、夏の青銅器時代に入る過渡期であったと考えられる。

新石器時代の人口は、龍山文化で一つのピークに達したが龍山文化の末期には人口は激減した。


いにしえララバイのブログ

によると、

黄河中流の河南龍山文化は、仰韶文化(紀元前5,000年~紀元前3,000年)の延長線上にあった。

これに対して、黄河下流の山東龍山文化は、大汶口文化の延長線上にある。そして大汶口文化は、長江中流域文明の屈家嶺文化の影響を受けている。

このあとブログ主は

龍山文化の一番の特徴である「黒陶」は、長江文明の大汶口文化から山東龍山文化へ、そして、黄河を上流に上り、中原龍山文化に広がったと思われる。

逆に、龍山文化のもう一つの特徴である青銅器は、中原龍山文化から山東龍山文化に持たされたのではないでしょうか。

と書いている。

二つの道具がこの時期にクロスしていることになるが、どちらが重要かといえば、もちろん青銅器であろう。しかも青銅の製作法はメソポタミア由来と考えられているから、西域に近い国が強勢となるのはものの理であろう。