クロノ・ダイヴァーさんのページに載っている地図は、各種族の位置関係を知る上で参考になるので、転載させていただく。

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少なくとも地理的関係からは、「仰韶文化はやがて、竜山文化とよばれる、より進んだ文化へと連なって行く」とは、そう簡単には言えないのではないかと思う。

北方系、南方系は生産様式の差を示しており、基本ではあるが、海岸部と内陸部という対立関係もあるのではないだろうか。軍事的に考えると、北方系と長江系が面で対決したとは考えにくい。

地図で見ると黄帝の支配する仰韶文化圏に侵入したのはおそらくはミャオ族であり、越は竜山文化圏に進出したのではないか。であるとすれば、ミャオ族が排除され越族が同化されたことは了解される。むしろ越と竜山文明が仰韶文化圏に迎え入れられた可能性もある。

黄帝の一族はミャオ族排除には成功したものの、その高い文化に触れ、「やっぱり、このままじゃいけないんじゃないの」とばかり、積極的に文化の導入を始めたのかもしれない。二里頭周辺で五穀の生産が確認された事情も、これで説明できる。

それにしても、紀元前2千年の時点ですでに水稲づくりが山東半島まで来ていたとすれば、これが遼東半島にわたり朝鮮半島全域に拡大するのに千年を要するというのが理解できない。日本での水稲栽培は、これまでのところ紀元前10世紀を遡ることはないとされているからである。