以下は

中国古代文明の系譜

というページからの引用

黄河流域で発達したのは、紀元前5000年から紀元前2500年頃の仰韶文化である。キビ、アワなどを栽培した。仰韶文化はやがて、竜山文化とよばれる、より進んだ文化へと連なって行く。

一方長江流域で栄えたのは紀元前3000年から紀元前2000年頃の良渚文化である。こちらは稲作を行っている。

ということで、中国古代文明はデュアル・カルチャーとしてみなければならないという指摘だ。
それはそれで正しいと思うが、問題はそれがぶつかって一方が勝利したのか、それともその前に長江文明は衰退していたのか、ということだ。
もう一つはその上に夏王朝が成立したとすれば、それはどちらの系列のものなのかということだ。


これがその質問に対する、ひとつの答えだろう。
クロノ・ダイヴァー さんが、徐朝龍著「長江文明の発見」を紹介されている。
ブログ主の言う通り、 これは古神話と考古学を綜合した壮大な仮説であり、たいへん説得力があります。

あらすじ

1)BC2200頃の大洪水で、越族の良渚文化(長江下流)は崩壊し、苗族の石河家文化(長江中流)、夷族の龍山文化(山東)も衰退した。

2)上の大混乱により、越・苗・夷らは難民となって黄河中流へ殺到した。文化は低いが武勇にすぐれた黄河勢力(黄帝)は、彼らを撃ち破って服従させた。

3)だがやがて黄河勢力のうちから、すぐれた治水技術をもつ越系の禹が台頭した。彼は南北諸族を統合して【夏】を開いた。

ということで、

①長江文明といっても長江下流域の越と中流域のミャオ族は異なる。

②黄河流域に進出した長江文明種族を、黄河在来系種族が制圧した。制圧したのは夏ではなく、黄帝である。

③その際、越は同化し、ミャオ族は“浄化”・排除された。

④最後には越人が両者を統合する位置についた。それが夏である

ということになる。ただこれはあくまでも仮説である。