NHKのホームページを見たら、番組の概要が載っていた。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/1014/

中国文明の謎 第1集  中華の源流 幻の王朝を追う

というのがそれだ。

第一集は最古の王朝「夏」。「中華」という言葉は、かつて「中夏」とも書かれた。「中華」の源流である「夏」王朝は、中国のいわば邪馬台国とも言える。

「史記」などの文献に登場するものの考古学の裏付けがないことから、多くの研究者は「幻」と考えてきたが、近年の発掘で、ついに実在が確認された。

とのこと

金を払うと番組を見られるらしいが、そういう趣味はない。


次に (三代) - Wikipedia

「従来、伝説とされてきたが、近年、考古学資料の発掘により実在可能性が見直されてきている」と、こちらは慎重だ。

文献史料のいう「夏」は二里頭文化に比定される。しかし二里頭文化が文献史料が示す「夏王朝」と同じである訳ではない。

そうですよね。

それでもって、まず二里頭遺跡というのがなんぼのものかです。

二里頭遺跡は新石器時代の遺跡で、掘り出された住居の跡から人口2万人以上と推定される。当時としては世界有数の大規模集落。

うーむ、たしかに王朝にふさわしい規模だ。

「宮殿区」の南門近くには「一号宮殿」がある。回廊に囲まれ、内部に広い空間「中庭」、正面に「正殿(せいでん)」を配する構造となっている。

うーむ、ますます王朝にふさわしい。

二里頭遺跡周辺では、(あわ)、キビ小麦大豆水稲、の5種類の穀物を栽培していた。気候によらず安定した食料供給が可能である。これが、それまでに衰退した他の中国の新石器時代に起こった各文化との違いである。

ということで、かなりの確率で夏王朝の遺構と考えてよさそうだ。

ではどのようにして夏王朝が成立したのか。

ウィキペディアでは『墨子』五巻という文書で「黄帝の三苗征服伝説」を紹介している。三苗というのはミャオ族のことを指すらしい。

夏が進出するまで、故地はミャオ族の住む世界だったらしい。

夜に太陽が現れ、血の雨が三日間降った。…雷が連続し、鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た。後、夏王国は建国した。

鳥を伴ったというくだりは、神武東征説話を思い起こさせます。

路史』によると

蚩尤(ミャオ族)は濃霧を起こして華夏軍を苦しめたが、(夏の)黄帝は指南車を使って方位を示し、蚩尤民族を破った。

夏は、どうも人種的には、殷ともつながる北方騎馬民族系のようです。

それで征服されたミャオ族はどうなったかというと、

ミャオ族は四散した。一部は代に華夏民族と同化し、一部の部族は春秋の強国であるの建国に関わった。

ということのようです。

つまり、紀元前3千年を遡る長江文明を武力によって押しつぶすことにより黄河文明が成立したことになる。かつて長江流域から黄河流域まで分布していた、ミャオ族は南へ流散していったことになる。

その一部が朝鮮半島、さらに日本まで至ったとしてもまったく不思議はない。